めんどり通信/2006年9月17日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!


★新約聖書 マタイによる福音書  19:4〜6
   イエスは答えて言われた。「創造者は、初めから人を男と女に造って、『それゆえ、人は
   その父と母を離れて、その妻と結ばれ、ふたりの者が一心同体になるのだ。』と言われた
   のです。それを、あなたがたは読んだことがないのですか。
   それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。こういうわけで、人は、神が結び合わせた
   ものを引き離してはなりません。」

●マルコ、マタイによる福音書に記されているが、イエスがユダヤ地方におられたときパリサイ
人たちがみもとにやって来て、イエスを試みて、夫が妻を離別することは許されるかどうかと質
問した。 

旧約聖書の民数記には離婚についての規定が書かれている。 モーセは離婚状を書いて離婚
することを認めた。 しかし、このことについて主は、「モーセは、あなたがたの心がかたくなな
ので、その妻を離別することをあなたがたに許したのです。しかし、初めからそうだったのでは
ありません。(マタイ19:8) 」と答えられた。

人間の心がかたくななので、神は離婚することを許したのである、とイエスは語られた。 結婚
生活にはお互いの努力が必要であろうと思われる。 お互いに相手を理解したり、思いやった
りと、忍耐なり、寛容なり、慈愛なり、柔和、自制なりが必要であり、相手を受け入れる努力が
必要であろう。

しかし、心がかたくなであれば、相手が自分にあわせてくれることばかり要求して、自分はわが
まま好き勝手をして自分を変える努力をしないという具合である。 そういう人間のかたくなさ、
頑固さという、人間の罪があらわになるように、離婚の教えが定められていた。 もし、人間が
かたくなでなければ、罪がなければ、離婚の教えなど必要なかったと思われる。

心がかたくななゆえに、離婚がやむ得ないという場合も起きると思われるが、また確かに、旧
約聖書も新約聖書も、離婚を絶対に否定しているわけではないが、基本的には神は離婚は許
されていない。 神が結び合わせたものを、人は引き離してはならない、これが聖書の原則で
ある。

●さて、この箇所ではただ単に地上の夫婦の離婚、結婚について語っているだけではない。
夫=キリストをあらわし、妻=クリスチャン、教会をあらわす。 ここでは夫キリストが妻教会、ク
リスチャンを離別することがあり得るということを教えている。 キリスト教会では、一旦、主を受
け入れれば、クリスチャンになれば救いから漏れることはない、と言われているらしいが、聖書
は、そのようには語っていない。 クリスチャンがキリストから離別されることがある!と語って
いる。 我々は この聖書の御ことばを厳粛(げんしゅく)に受け取るべきではないだろうか。

それでは、どうしてクリスチャンがキリストから離別されるのであろうか? それはイエスが語っ
ておられる。 あなたがたの心がかたくなだからだ!頑固だからだ!と。 イエス・キリストを一
旦、信じているから、教会に通っているから、聖書を読んでいるから、自分なりに祈っているか
ら、みことばに従わなくても大丈夫、何があっても心配ない、などという思いは、心がかたくなな
証拠である。

クリスチャンは一人で生きていけるようにはできていない。 聖霊によってでしか、神から見ら
れたクリスチャンとしての歩みができないのである。 だから聖霊を悲しませては、聖霊がその
人の上にとどまることなどできないのである。 聖霊がこの地上生活で、正しい主の道を歩むこ
とができるように導いてくださり、惑わしから守ってくださるのである。 そして、聖霊が働いて
我々を変えてくださるのである。 天の御国まで我々を連れて行ってくださるのである。

★新約聖書  エペソ人への手紙 4:30
   神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって
   証印を押されているのです。

●クリスチャンになるということは、キリスト(助け手としての聖霊)と婚姻関係を持つ、ということ
である。 キリストを夫としていたのに、離れて別のものに頼るならば、姦淫(かんいん)を犯す
ことである。 例えば、カトリックは姦淫している。 キリストを離れて、ローマ法皇のことばを優
先したり、マリヤ崇拝したり・・・、姦淫の罪を犯してしまっている。 だから、こういう場合、神は
離婚を許されるのだ。 聖霊は離れていくのである。 恐ろしいことである。

”結婚””離婚”とはこれほど重要なことなのである。 結婚は本来神聖なものなのである。 結
婚も離婚も法的には、紙一枚に印鑑を押して役所に提出すれば成立してしまう簡単なもの。 
しかし結婚も、これほど重要なものであるということがわかっていないから、簡単に離婚してしま
うのではないだろうか。 どうしても致し方ない理由というものもあり得るとは思う。 しかし、結
婚、離婚の意味の深さを人間の基準ではなく、神の基準で理解していたなら、踏みとどまれた
離婚も多かった、また多いのではないだろうか。 

「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」。 好き嫌いで一緒になったので
はなく、神が二人を結び合わせってくださったと考えるべきである。 そして事実はそうであるか
らだ。 

しっかりキリストに頼って、主に従っていき、聖霊が我々のために存分に働いてくださるようにと
日々祈り求めていきたいものである。 そして、祝福された結婚生活をしていきたいものであ
る。

★新約聖書  エペソ人への手紙 5:30〜33
   私たちはキリストのからだの部分だからです。
   「それゆえ、人はその父と母を離れ、妻と結ばれ、ふたりは一心同体となる。」
   この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。
   それはそうとして、あなたがたも、おのおの自分の妻を自分と同様に愛しなさい。妻もまた
   自分の夫を敬いなさい。