めんどり通信/2006年7月23日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!

★新約聖書 マタイによる福音書 7:13〜15
   狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこか
   らはいって行く者が多いのです。
    いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。
   にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼
   です。

●17世紀、イギリス人のジョン・バンヤンという人がいた。 当時、主イエスのことを語るのに
許可が必要な時代だったらしい。 大東亜戦争(第二次世界大戦)のときに、日本でも聖書の
ことを語るには許可が必要であり内容には制限があった。 当時は とにかく天皇が神である
と認めなければならなかったので、キリストが救い主や神などと天皇の上に立ってはならな
かったのだ。

バンヤンのときも同じような時代であったと思われる。 そういう時代に彼は許可なく聖書の真
実、真理を説教したというので投獄された。 その獄中で書いた書物に「天路歴程」がある。
一人のクリスチャンが自分は罪人と真に悟り、汚れた魂を救われたいと願い、イエス・キリスト
と真に出会い(主を悟り)、天の御国へ向かう話しである。

彼は罪の重荷を背負い、不安で憂鬱(ゆううつ)な日々を過ごしていた。 救いに至る道を探し
に出かけようとした。 その際、妻や子供達、近所の人々をも誘った。 「このままだと神の裁
きよって滅びてしまう。 私と一緒に救いを求め、天の御国に向かって行こうではないか。」

しかし、「そんなことなどあるものか。」「信仰に熱心なゆえに頭がおかしくなったのだ。」と皆か
ら笑われた。 失望したクリスチャンは一人で天の御国に向かって旅立った。

途中、一人の伝道者が現れ「神のさばきがあるから、来るべき天の刑罰から逃れよ!あの光
を見て、門を目指して進め。着いたら門をたたけ。そうするとすべきことがわかる。その門は狭
い。そして門を通っての道は狭くて厳しいが進め。」と巻物(聖書)を渡してくれた。 

途中、頑固、軽率、世渡り上手という人たちに出会った。 また人の罪や不安や脅迫感で
いっぱいの落胆の沼と呼ばれる泥沼に落ち、こんな厳しい道など行くのはごめんだと他の者は
リタイヤし、偽(にせ)の案内人に道徳という道へ行く方が賢いと言われたが、それに聞かな
かったので結局、彼は1人になってしまった。

様々な妨げがあったが、ようやく狭い門に入った。 そこで神のご計画、真理を知らされ、また
進みだした。 小高い丘の上に十字架が見えた。 その十字架を見たとき、彼はイエス・キリス
トは自分の罪の身代わりとなって十字架にかけられたと気づき、心から悔い改めた。 すると
今まであった重荷がとれた。 

あなたの罪はゆるされた、との声が聞こえ彼は新しく生まれ変わった。 ゴールは天の御国。 
彼はいよいよ前へと進み出した。 

途中、道の両側の垣根から乗り越えて近道をしてきた2人の者、形式ばかり、見せかけとい
う人たちに対して「私は神に示された道を来た」と宣言し、忠告した。 2人の人は破滅の道、
危険の道へと滅びに向かって行ってしまった。 

クリスチャンは また1人で困難の丘を進んで行ったが、苦しくて途中、眠ってしまい、目が覚
めて進み出したときに、巻物を忘れてしまった。 捜しに戻り見つかって、眠ってはいけないこ
とを悟った。

また進むと、引き返してきた者たちに出会った。 道の両側に獰猛(どうもう)な獣がいるとい
う。 しかし伝道者が現れ、獣は道を進む者に信仰があるかどうか試すために道端につなが
れているだけと教えられた。 そして「神の武具を着けよ」と教えられた。

途中会って、リタイヤしそうな者たちを励ましながら、彼は前へと進んで行った。 イエス・キリス
トに会いたかったのである。 天の御国に入りたかったのである。 

★新約聖書  エペソ人への手紙 6:11〜 18
悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。
・・・・では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足に
は平和の福音の備えをはきなさい。これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。
それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。救いのかぶとをかぶり、また
御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。すべての祈りと願いを用いて、どんな
ときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のた
めに、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。

●確かに道は厳しく、様々な障害、妨げがあったが、「神の為なら恐れることはない!」の心と
祈りと神のことばによって勝利を得ながら進んで行った。 そして献身者という道連れも与えら
れたが、地位、名声、肉欲などが市で盛んに売買されている”虚栄の町”で「真理」を求めてい
ると言ったら、捕えられてしまった。 裁判の席で キリストを証しし、「神のさばきから逃れるた
めにキリストを信ぜよ。神に従え。」と皆に警告したが、献身者は殉教し、彼はかろうじて解放
された。

また、進むうちに”希望”という道連れが与えられたが、あまりにも足が痛んで2本あった道のう
ち、行く方向が同じと見えたので、楽な道を選んで行くと、今度は怪人”絶望”に捕まった。 わ
き道にそれたことを悔い改め、力を与えられるよう祈って脱出できた。

2人は、後から来る者が迷い込まないように、立て札を作った。 そして まっすぐ進むと、白い
衣を着たにせ案内人が惑わそうとしたが、伝道者の言う「巻物(聖書)を読んで、その男の言う
事を聞いてはならない。」の言葉に従い、進んだ。 やがて天の御国に到着した、という話しで
ある。 

獄中でこの話を書き終えたバンヤンは「私はまだ途中です。この旅を終わらせて下さい。無事
に天の御国に着かせてください。」と祈ったという。

天の御国(ゴール)への道は確かに聖書に書いているとおり、この話しのとおり狭くて厳しいも
のであるが、肉眼では見えないが、キリストが共に進んで下さっているのである。 目指す者に
は聖霊の導きがある。 我々は、この主イエス・キリストを真に受け入れて、重荷から開放され、
絶えず祈り求めてまっすぐにゴールに向かって歩みを進めていきたいものである。

★新約聖書  ヘブル人への手紙 12:11
   すべての懲らしめ(訓練)は、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるも
   のですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。  

★新約聖書  ヘブル人への手紙 12:2
   信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自
   分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座
   の右に着座されました。