めんどり通信/2006年5月7日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!

★新約聖書 ルカによる福音書  10:41、42  
   主は答えて言われた。「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使って
   います。 しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその
   良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」

★新約聖書 ヨハネによる福音書  6:27
   なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きな
   さい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。この人の子を父すなわち神が認
   証されたからです。」

ルカによる福音書の10章に、こんなことが記されている。 イエス様はマルタに迎えられて彼
女の家に行かれたときのことである。 家に入られると、イエスは神のことばを話し始められ
た。 妹のマルタは、イエスが話され始められたときから、ずっと、主の足元にすわって聞いて
いた。 姉のマルタは、主や弟子たちの接待のため、忙しく気が落ち着かず、イライラしてきた
ようである。 

遂には「主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょう
か。私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。」と主に対して腹をたててしまった。
すると主は言われた。 「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っていま
す。 しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほう
を選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」
と。

主は、マルタが一生懸命もてなしをしていたこと自体を責められているわけではない。 それは
良いことだろう。 しかし、それ以上に必要なことがあり、それはたった一つ、神のことばである
と、それをマルタに与えるために、マルタを引き戻そうと言われたのである。 

★新約聖書  第一コリント人への手紙 8:6
   私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、すべてのものはこの神から出ており、私
   たちもこの神のために存在しているのです。また、唯一の主なるイエス・キリストがおられ
   るだけで、すべてのものはこの主によって存在し、私たちもこの主によって存在するので
   す。

●神のことばは人にとっては、なくてはならない必要なものなのである。 それは 人には本
来、唯一の神がおられ、その神の御手の中に留まっていることこそが、人にとって一番幸いな
ことであるからだ。

★新約聖書 ヨハネによる福音書 1:1
      初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。

★新約聖書 マタイによる福音書 4:4
   イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つ
   のことばによる。』と書いてある。」

●さて、イエスが公にキリストとして立たれた時、悪魔の試みに受けるため、御霊(みたま)に導
かれて荒野に上って行かれた。(マタイ4章) 40日40夜断食したあとで、空腹を覚えられたとき
試みる者がやって来て「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」と言っ
た。 それに対してイエスは上記のみことば(マタイ4:4 )のように答えられた。 

聖書の御言葉は”たとえ”で多く書かれている。 このことは主ご自身「わたしはたとえで話そ
う。」とか「弟子はたとえを理解できるが、群衆は理解することがゆるされていない。」などと言
われている。 天の御国の奥義を”たとえ”で主は語られているのである。 

主はシモン・ペテロに「あなたはペテロ(石という意味)です。マタイ16:18」と言われたように、こ
こで、石は弟子や神の民をあらわす。 試みる者は、石をパンにしてそれを食べよと言う。 つ
まり、「弟子や神の器やすばらしい人、偉人のことばで生きていけ」と言っているのである。 

確かに偉人のことばは、すばらしいものが多い。 しかし、残念ながら、そのことばによって永
遠の命へと至る道へと進むことは出来ないのである。 ここに神の方法と人の方法の違いがあ
る。 実際すばらしいクリスチャンであると言われている人たちであっても、そのすばらしいもの
があだになっていることがある。 

カトリックでは聖書のことばよりローマ法王のことばが上になってしまって、神を冒涜(ぼうとく)
している。 進化論は科学的だなどと平気で言い、創世記の記述を否定して冒涜に冒涜を重ね
ている。 本来、永遠の命へと人々を導かねばならない立場の者が、人々を永遠の命どころか
滅びに向かわせている。 もはやキリスト教ではない。 神の器でもない。

しかし、世ではローマ法王もマザー・テレサも偉人に数えられ、彼らのことばはもてはやされ、
人々は彼らのことばをありがたがって互いに勧めあっている。 他の多くの偉人たちのことばも
そうして世でもてはやされてきた。 しかし、結果は今の世の状態である。 世はますます荒
(す)んできたではないか。 偉人のことばは決して無駄ではなかったとは思うが、人を永遠の
命へと導かなかったことも事実である。 人々の力にはならなかったようである。

かつて日本では、子供の将来の理想像を表現して「末は博士か大臣か」と言い、「大臣」にな
ることが、世間的には最高の栄達と考えられていたことがあるが、今では大臣、総理大臣が最
高の栄達とは思われなくなったのではないだろうか。もっとも、マスコミの末端の人々は一生懸
命働いているが、どうも上層部はある人々に握られているようで、真実を伝えないお陰で大臣
たちも人気を保っているようである。 弱みをすっかり握られてアメリカの言いなりになっている
ポチ公総理大臣のことも、一部のフリーのライターだけが、必死で命がけで真相を配信してい
るが、なかなか皆には行き渡らないようである。 相変わらず、コントロールされたテレビ、新聞
の記事を事実と受け取らされている。

この状態は明らかに永遠の命へ至る道とは反対方向に向かっている。 しかし、神は日本を顧
みてくださる。 研究者たちによると、日本はどうも、聖書に登場してくるアブラハム、ダビデなど
の血筋をひいた真のイスラエル人であるという。 聖書を調べるとやはりそれは真実のようであ
る。 そうすると、のろわれたようなこの日本の地でも必ず、神の祝福を得るときが来ると思わ
れる。 今の日本を見ていると、とてもそのようには見受けられないのだが、神が語られたこと
ばは必ず成就(じょうじゅ)する。 

その日が来たなら、神は日本人の目を覚まさせ、神の道、永遠の命に至る道を教えてくださる
であろう。 しかし、すべての者がその恵みに預かるとは限らない。 主はへりくだる者に恵み
与えられる。 だから今からその準備をしておきたいものである。 キリストを模範として、キリ
ストのことばを受け入れて日々を生きたいものである。 彼が我々を永遠の命へ至る道へと導
いてくださるからである。

★旧約聖書 詩篇  25:8
   主は、いつくしみ深く、正しくあられる。それゆえ、罪人に道を教えられる。

★新約聖書 ヨハネによる福音書 6:68
   すると、シモン・ペテロが答えた。「主よ。私たちがだれのところに行きましょう。あなたは、
   永遠のいのちのことばを持っておられます。

★旧約聖書 詩篇
   幸いなことよ。すべて主を恐れ、主の道を歩む者は。