めんどり通信/2006年4月9日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!

 
★新約聖書 ローマ人への手紙  6:17 ,18
       神に感謝すべきことには、あなたがたは、もとは罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの規
      準に心から服従し、罪から解放されて、義の奴隷となったのです。

★新約聖書  第一コリント人への手紙  7:23
        あなたがたは、代価をもって買われたのです。人間の奴隷となってはいけません。

●我々人間は、人との関わり合いの中で生きている。 孤独が好きな者であっても今の世で全
く一人で生きているという者は、皆無といっても過言ではないであろう。 仕事にまつわること、
お金のこと、人間関係のこと、子供のこと、自分自身の弱さなどどれも他人であれ、自分であ
れ”人”というのが絡(から)んでくる。 そして人と何らかの関わりを持つ中で、喜び、悲しみ、苦
しみも人との関係の中で生じてくる場合が多いと言えるかもしれない。 

結局、多かれ少なかれ、”人”の束縛を受けていると言えよう。 言い替えれば、”人”の奴隷と
なっていると言えるかもしれない。 ”人”を気にしすぎるとそれがいつの間にか、自分自身を苦
しめることにもなってくる。 そして恐れが生じたり、また怒り、憤りへと移行する場合も多いと思
われる。 そして、それがますます心を縛り、自由に言動することができなくなり、正しい判断が
できず、良い結果をもたらさない。 罪から罪へと深みに入っていく。

★新約聖書   テトスへの手紙  3:3
       私たちも以前は、愚かな者であり、不従順で、迷った者であり、いろいろな欲情と快楽の
      奴隷になり、悪意とねたみの中に生活し、憎まれ者であり、互いに憎み合う者でした。

★新約聖書 ローマ人への手紙    6:22
        しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得たのです。その行き着
       く所は永遠のいのちです。

★新約聖書 ローマ人への手紙    8:2
        なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを
       解放したからです

●しかし、主イエス・キリストはそのような者を救うために、解放するために十字架で勝利を
取ってくださった。 神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしに
なり、肉において罪を処罰されたのである。(ローマ8:3)  それは、我々が、死に追いやる肉
(生まれもっての性質)に従って生きるためではなく、聖霊に導かれて、神のいのちと平安の中
で生きるためである。

イエス・キリストを真に受け入れることが、いのちを得ることである。 この、いのちは朽ちること
のない、神のいのち(永遠のいのち)である。 神のいのちは人を罪、またあらゆるものの奴隷
になっていた者を解放する。 真にイエス・キリストを信じ、彼に祈り、彼に頼る者の内で神のい
のちが働き、その人を解放の実際へと導く。 そこには肉の働く余地はない。 

肉の努力をしようとする行いには束縛があり、結局罪の奴隷となってしまう。 肉の努力は達成
できない自分自身に対する怒り、自信喪失、劣等感、他者への批判、自分への憎しみ、神に
反する不信感へとつながっていく。

本来、我々は、奴隷と言うならば、神の奴隷であるべきであった。 神の奴隷(しもべ)であるな
ら、神のもの(いのち、恵み、祝福など)を頂けるのである。 しかし、間違ったものの奴隷にな
るゆえに、人は苦しむのである。 

★新約聖書   ガラテヤ人への手紙  4:9
        ところが、今では神を知っているのに、いや、むしろ神に知られているのに、どうしてあの
       無力、無価値の幼稚な教えに逆戻りして、再び新たにその奴隷になろうとするのですか。

●主は言われる。「キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。で
すから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。」
と。  人は様々なものの奴隷になっている可能性があるが、「(様々なものの)奴隷から抜け
出す決意と心の一新」は、真にイエス・キリストを受け入れることから始まる。 主イエス・キリス
トを信じた者は、このお方が与えてくださる自由、解放を実際に受けたというだけでなく、持続し
続け、日々の生活の実際が、真に”人”や”様々なもの”から解放されたといえる生活をしてい
くことができるのである。 

神は我々に神のいのち、祝福を受け継がせたいと望んでおられる。 そのために人は、他のも
のの奴隷になるのではなく、神の奴隷、しもべとなり、神と自分の関係をきちんと正しく持ってい
ることが大切である。 神の奴隷、神のしもべ、その立場にとどまることが、へりくだった人の姿
である。 神の前に真にへりくだっている人は、人の前にもへりくだっているであろう。 

我々は、神の祝福、恵み、いのちを受け継ぐ者として日々、祈り続けていきたいものである。 
祈り続けていく者は、ひとつひとつ解放されよう。 御言葉に根ざして、主に頼るなら、助け主な
る聖霊が、私たちと共にいて、必ず助けてくださり、このことを体験し続けさせてくださるであろ
う。 

★新約聖書   テトスへの手紙  5:1
        キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなた
       がたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。

★新約聖書 ヨハネによる福音書  21:22
       イエスはペテロに言われた。「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むと
        しても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。