めんどり通信/2006年1月15日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!

★新約聖書 ガラテヤ人への手紙5:22,23
    しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。この
   ようなものを禁ずる律法はありません。

マタイによる福音書21章に、イエス様がぶどうの木を枯らしたことが記されている。 イエス
様と弟子達がベタニヤという地からエルサレムに帰る途中、空腹を覚えられたので、道端にあ
るいちじくの木から実を食べようとなさった。 ところが、葉だけが茂っていたが、実がなかった。

そこでイエスは、その木に対して「おまえの実は、もういつまでも、ならないように。」(マタイ
21:19)
と言われると、その木は枯れてしまったという話しである。 

このところで、聖書は、クリスチャンが実を結ぶことの重要さを教えておられると思われる。 
いちじくの木はクリスチャンを表している。 罪人であることを認めて、罪を悔い改めて、イエス・
キリスト様を自分の救い主として信じてクリスチャンになれば、聖書の原則として確かに、信じ
て求めるものは何でも与えられる。 

しかし、クリスチャンになって何年たっても良い実を結ばず、いたずらに恵みを受けるだけの歩
みをしている時、それは葉だけの状態であり、イエスによってのろわれるという。 ましてや悪
い実など結んでいるとなると、切り倒されて火に投げ込まれるという。 

火もたとえのようで、どうも悪霊のことをさすと思われる。 となると、悪い実を結ぶものは、19
90年代から日本でも盛んになった「聖霊の第三の波ムーブメント<聖霊ではなく実は悪霊の
ムーブメントと言われている>やトロントブレッシングとか明らかに聖霊によるものとは違う数々
のムーブメントの渦(うず)の中に惑わされて巻き込まれていくようになるということではないだろ
うか。 

著者も10年前くらいに、以前所属していた教会から遣わされて、そういうムーブメントの聖会に
出席したことがある。 その時には、心の奥の方では、こんな聖会をして本当にいいのだろう
か? まだ救いを受け入れていない人々にとって益になるのだろうか? 聖会で奇跡を体験し
たと喜んでいる(?)人の日々の信仰生活は、神が本当に喜ばれる生き方をしているのだろう
か? などとの疑問があったが、教会の牧師がいいと言うのだから間違いないなどと安易な
考え方をしていた。 人間、その渦の中に入っていれば見えないが、そこから脱出して見てみ
ると、よく見えることがある。 著者の場合は、神のあわれみにより、そこから引き出されて、
神の恵みにより見えるようにして下さった。 主に感謝!!

これらのムーブメントは、それを支配する悪霊の影響で惑わされるゆえ、真実が見えなくなって
しまうようである。 かつて、エデンの園でのアダムとエバも、一番重要な神のことば「善悪の知
識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」
(創世記2:17 )
は、どこかへ吹き飛んで、「その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、
賢くするというその木はいかにも好ましかった。(創世記3:6)」
と見えた。 そして、死をもたらす
木の実を食べて罪と死が入って来ることとなった。 悪霊による惑わしの真っ只中に陥ってし
まった結果である。

★新約聖書 マタイによる福音書 7;17〜19
   同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。
   良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもでき
   ません。
   良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。

 ★新約聖書 ガラテヤ人への手紙 5:19〜21
   肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔
   術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類
   のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておき
   ます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。

●さて、悪い実を結ぶとは、上記のみことばのとおりである。 人の悪口を言ったり、そしった
り、さばいたり、ねたんだり・・・。 要は、自分の思いにこだわって、神のことばを聞かず、御
霊(みたま)の言うことに逆らっているということである。 良い実を結ばず、葉だけであると、主
にのろわれ、悪い実を結ぶなら、切り倒されて、火に投げ込まれる。 つまり、神の国を相続で
きない、天の御国にはいることができない。 恐ろしいことである。

クリスチャンのゴールは、天の御国にはいることである。 天において報いを得ることである。 
人が信じる信じない、また受け入れる受け入れないということには関係なく、聖書は人には、
死後に2つのゴールがあるべきことが記されている。 その中の1つのゴールである天の御国
に入れるようにと、クリスチャンに対して神は、望んでくださっている。

本当は、真のクリスチャンは、御霊の実を結ぶように召されているのである。 実を結ばない、
または悪い実を結ぶクリスチャンは、神から見られたら、クリスチャンとは言えない。 なにし
ろ、クリスチャンという言葉の意味は、ギリシャ語で「キリストに従う者」という意味があるのだ
から。

良い実を結ぶために、絶えず主に祈り求めて、主につながっていたいものである。 そして、聖
書を祈りつつ読み、主のみこころを行なっていき、良い実を結んでいきたいものである。

★新約聖書 ヨハネによる福音書 15;6、7
   だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。
   人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。
   あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあな
   たがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられま
   す。