めんどり聖書研究会/めんどり通信

めんどり通信/2005年9月25日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!

★新約聖書 エペソ人への手紙 6:18
    すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶
    えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。

●昨今の世、日本は、ずいぶんと様変わりしたように思える。 生活の面では、一昔前に比べ
れば豊かになったし、便利になった。 インターネット普及でテレビ番組の時間を待たなくても、
見たい時に自由に映画やアニメ、ニュース他、どんなジャンルでも無料で見えるような時代に
なった。 映像もきれいであるから、驚くばかりである。 人々が自由に自分の時間を自分にあ
わせて使い、老後、年金が無事もらえるかどうか心配云々(うんぬん)と言いながらも、選挙で
蓋を開けてみれば、相変わらずアメリカの忠犬ハチ公ワンマン首相の人気は衰えず、やはり
我々日本人は 幸せボケして、眠った状態なのではないかと思ってしまうのは著者だけであろ
うか。 しかし、ある人がこんなことをネットで書いていたのを見たとき、正しく見ている者もいる
のだと知り、神をほめたたえた。

「しかし、我々が知らなければならないことは、この様なことばのすりかえ、論理のすりかえは
”ユダヤ主導の新聞、テレビ”で伝えられ、愚かな人々はそれを真に受けるということです。
彼等、狡猾なユダヤは、群集は、本当の真実など理解せず、表面的なこと、外見やもっともら
しい、いいかえ、スローガンに すぐ騙されることを熟知しているのです。彼等はそれゆえ、あら
ゆる言い換え、すり替えをもって、アメリカのテレビ、新聞を乗っ取り、群集を好きなようにコント
ロールし、アフガン、イラクへの 殺害に賛同、参加させています。

同じ方法が、忠犬ハチ公の治める島国、騙されやすい群集の住む国、あほたれ日本人相手
にも大いに通用することを彼等は熟知しています。今回の選挙は彼等のテレビ操作、群集心
理操作、選挙操作の技術がみごとに結集した一大イベントであり、見事に、彼等は日本の愚
か者どもに自分たちの忠犬を自発的に選ばせることに成功しました。彼等はユダヤは、日本
人などこの程度のものだと前もって理解しており、悲しいかな、日本は確かにその程度の阿
呆たればかりでした。」

★新約聖書 第一ペテロの手紙 5:8
    身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのよう
    に、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。

 ★新約聖書  第二コリント人への手紙 2:11
   
 これは、私たちがサタンに欺かれないためです。私たちはサタンの策略を知らないわけ
    ではありません。

●今やサタンは様々な策略を持って、世界中で大手を振って暴れまわっている。 肉眼で見え
ないだけに、やっかいであるが、神は聖書のあらゆる箇所で我々に、見破る方法や対策を知ら
せて下さっている。 真に主を求める者にはそれを教えて下さる。 

★新約聖書 ローマ人への手紙 12:3
   私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。 だれでも、
   思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。 いや、むしろ、神がおのおのに分け
   与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。

★新約聖書 ローマ人への手紙 6:6
   私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私た
   ちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。

★新約聖書 ローマ人への手紙 9:15、16
   神はモーセに、「わたしは自分のあわれむ者をあわれみ、自分のいつくしむ者をいつくし
   む。」と言われました。
   したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるので
   す。

●我々人は罪人である。 主イエスを信じ、救われたとしても、それで完全になったわけではな
く、救われた罪人で古き人(生まれつきのもの)が、出てきて神の御心とぶつかることがある。
主は言われる。 「自分の十字架を負って、わたしに従ってきなさい。」「思い煩うな、わたしに
ゆだねよ。」
 しかし、主を信頼していても あせるときがある。 「早くこの祈りを聞き入れて欲
しい。」などと無意識に欲を駆り立てる。 また無意識に自分の想像、計画、思い込みがあり、
祈りの結果を主にゆだねず、判断を自分が取り仕切る。 こういうところにサタンは付け込んで
来る。 そして、その人を主から引き離そうと苦しみを倍増させる。 これはサタンの策略の一
つである。 

しかし、主はあわれみ深い方である。 わなにはまってしまい失敗した弟子でも助け出して下さ
る。 ペテロは主イエスの筆頭頭の弟子だった。 イエス・キリストはご自分がエルサレムに
行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみが
えらなければならないことを弟子たちに示し始められた時、ペテロは、そんなことは起こるはず
はありません(マタイ16章)と言った。 彼の思い、想像、計画では考えられなかったのである。

しかし、イエスは「下がれ。サタン。あなたはわたしを邪魔するものだ。・・」とペテロに言われ
た。 この後もペテロは、サタンのわなに陥り、主を否定したりといろいろ大失敗をする。 だ
が、主は見事にペテロを救い上げ、引き上げた。 ペテロは最後は逆さ十字架にかけられ殉教
した。

弟子でも主が引き上げられなかった者も多い。 主が「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む
者は、永遠のいのちを持っています。」(ヨハネ6:54)
と言った時、こんな言葉など聞けるか、
と多くの弟子がイエスから離れ去って行き、もはやイエスとともに歩かなかった、と書かれてい
る。 その彼らは、後になって主のところに帰ってきたようには書かれていない。 彼らの心の
中にはもともと、真に主に付き従っていこうという決心はなかったようである。 ペテロは、自分
の力量や性質などわかっておらず、主を否んでしまったが、彼は火の中、水の中、主に付き
従っていこうという心はあった。 主はこのような者をあわれんでくださる。 

我々人は、弱いものである。 誘惑に弱い、欲に対して弱い、肉体が弱い、・・・。 しかし、主は
このような者を選んで下さるのだ。 感謝なことだ。 だから我々にできることは、ただ祈る、主
に祈ることである。 結果をゆだねて、判断をゆだねて、ただひたすら祈るのである。 主も
我々に求めておられることは、祈ることである。 そして忠実に主の御言葉を行なうのである。 
忠実に祈る者に、行なう者に、主は、主の勝利に預からせてくださるのである。

★新約聖書 第一コリント人への手紙 1:27、28
     しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をは
    ずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。
    また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、
    有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。

★新約聖書 第一テサロニケ人への手紙 5:17
   絶えず祈りなさい。