めんどり聖書研究会/めんどり通信

めんどり通信/2005年9月18日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!

★新約聖書 第一コリント人への 1:18
   十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の
   力です。

●イエスが十字架につけられるために、律法学者やパリサイ人たち、ユダヤ人たちに引き渡さ
れたとき、総督の兵士たちは、イエスの着物を脱がせて、緋色(ひいろ)の上着を着せた。 こ
のことは、”このイエスは反キリストだ、サタンの使いだ”と主張しているのである。 黙示録に
も緋色の女が登場するが、おそらく終末にも同じようなことが起きると思われる。 当時の律法
学者やパリサイ人たち、ユダヤ人たちは、今で言うならクリスチャンである。 律法学者やパリ
サイ人たちは教会の指導者、ユダヤ人たち(群衆)は一般信者たちである。 

当時、彼らは、自分たちがしていることは正しいこと、神に仕えていることと思い込んでいた。 
しかし、実際は主イエス・キリストを十字架につけたのである。 このように彼らはとんでもない
間違いをしでかしたのだが、彼らは聖書の御言葉を正しく受け取れていなかったのである。 
どうも今日の多くの教会もその足跡をたどり出したように見受けられる。 

多くの教会の常識は、聖書が語っていることと反対のことを言っている。 私も、以前、属してい
た教会で教えられていたが、中東にいる白人ユダヤ人を、イスラエルの民と言っている。 ま
た、再臨は1度目は大艱難時代の前で、空中再臨、次に大艱難時代の終わり頃に地上再臨
があると教えられていた。 空中再臨の時に天に引き挙げられるのでなければ、大変と。 変
則的2段階携挙説である。 また、イスラエルに今、建っているイスラム教のモスクが壊されて、
そこに第三神殿が建ち、そこに『荒らす憎むべき者』が立つと教えられていた。 しかし、こんな
ことは聖書のどこにも書かれていない。 クリスチャンを惑わすもとである。 

★新約聖書 マタイによる福音書 16:24
   それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自
   分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

★新約聖書 ガラテヤ 人への手紙 6:14
     しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあっ
    てはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界
    に対して十字架につけられたのです。

●さて、イエスが十字架を背負われてゴルゴダの丘へ向かわれる途中、彼らはクレネ人シモン
という人を見つけたので、彼に無理やりイエスの十字架を背負わせた。 このシモンは、イエス
様の筆頭弟子シモン・ペテロに通じる。 聖書は主の真の弟子は、こういうものだということを
語っている。 真の主の弟子は十字架の歩みに入っていくのである。 

十字架は死ぬところである。 御言葉の通り、私という自分(肉、自我)が終わるところである。
また、十字架はサタンの力をも滅ぼすものである。 イエスが十字架で死なれたとき、サタンは
どれほど喜んだことか。 しかし、それもつかの間、主は3日目によみがえられたのである!
死は勝利にのまれてしまったのだ。 人を死(=滅び)へと道連れにしようとしていたサタンの
もくろみは見事に砕かれてしまったのである。 しかし、まだサタンが働くことを主が許されてい
るから、我々は油断をしてはならない。 

★新約聖書 第一ペテロの手紙 5:8
    身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのよう
    に、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。

●十字架は逆転勝利できるところである。 十字架を背負うと十字架を通してキリストの力が
現われる。 神の栄光が現われる。 作家の三浦綾子さん、画家の星野富広さん・・・等など。 
彼らを通して神の栄光が現われた。 多くの人が正しいキリストへの信仰へと導かれた。 キ
リストは十字架を背負った者を通して神の栄光を現わしてくださる。

 ★新約聖書 ピリピ 人への手紙 3:7
   しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うよう
   になりました。

●パウロは当時では、博学多才な者であった。 神に対しても熱心な者であった。 今で言うな
らエリート学者で人間もできている、という具合の人であった。 そのパウロに上記の御言葉の
ように言わしめたキリストを、もっともっと体得したいものである。 そして このキリストを見続
けていきたいものである。

★新約聖書 ヘブル人への手紙 2:10
   神が多くの子たちを栄光に導くのに、彼らの救いの創始者を、多くの苦しみを通して全うさ
   れたということは、万物の存在の目的であり、また原因でもある方として、ふさわしいこと
   であったのです。

★新約聖書 ヘブル人への手紙 12:1、2
   こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのです
    から、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれてい
    る競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。
    信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自
    分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御
    座の右に着座されました。