めんどり聖書研究会/めんどり通信

めんどり通信/2005年8月7日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!

★新約聖書 ローマ人への手紙 12:3
   私は、自分に与えられた恵みによって、あなtがたひとりひとりに言います。 だれでも、思
   うべき限度を越えて思い上がってはいけません。 いや、むしろ、神がおのおのに分け与
   えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。

★新約聖書 マタイによる福音書 25:21(23)
   その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠
   実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』

●マタイの25章で、主がたとえを話されている。 ある主人が、しもべたちを呼んで、自分の財
産を預け、旅に出かけた。 彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには5タラント、ひとり
には2タラント、もうひとりには1タラントを渡して、旅に出かけた。 5タラント預かった者は、す
ぐに行って、それで商売をして、さらに5タラントもうけた。 同様に、2タラント預かった者も、さ
らに2タラントもうけた。 ところが、1タラント預かった者は、地を掘って、その主人の金を隠し
た。

それから、よほどの時が経ってから、しもべたちの主人が帰ってきて、彼らと清算をした。 す
ると5タラントの者と2タラントの者は、5タラントもうけました(2タラントもうけました)と差し出し
た。 主人は彼らをほめた。(マタイ25:21、23) 1タラントの者は、「あなたはきびしくてひど
い方だから、こわくなり、1タラントは地の中に隠しておきました。」と1タラントを主人に返した。

ところが主人は言った。 「悪いなまけ者のしもべだ。 ・・・私がひどい者であるとわかっていた
なら、おまえは私の金を銀行に預けておくべきだった。 そうすれば私が帰って来たときには、
利息が付いて返してもらえたのだ。 そのタラントは彼から取り上げて、10タラント持っている
者にやりなさい。 だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、持たない者は、持ってい
るものまでもとりあげられるのです。 役に立たぬしもべは、外の暗やみに追い出しなさい。 
そこで泣いて歯ぎしりするのです。
」と、こういうたとえである。

1タラント=6000デナリで、1デナリ=当時の労働者の1日の賃金である。 神が我々クリス
チャン一人一人に与えておられる能力には差がある。 それぞれの人が与えられたタラントを
増やすことを主は望んでいる。 クリスチャンは、最低でも1タラント与えられている。 聖書の
中ででてくる商売とは、売り買い、つまり贖い(あがない=買い戻す)に関する。 これは伝道
に関することである。 自分が置かれている環境や状況の許す中で「商売」すなわち、あがな
いや救いの為に一歩でも働くことが大切であると主は言われているのである。 

せっかく与えられた1タラントを地の中に隠すとは、誰に聞かれても決してクリスチャンとは言わ
ず、救いの証しも語らずというようなクリスチャン生活をしていることを指しているのかもしれな
い。 銀行に預けるとは、教会(キリストのからだ)につながっていれば、何らかの奉仕をするよ
うになると思われる。 (コピーしたり、トラクトを配ったり・・・・そういうことを言っているのかもし
れない) いろいろ事情があるから一概には言えないかもかもしれないが、数人のクリスチャン
の集まりがある場合は、できることであろう。

クリスチャンは、イエス・キリストを「主」と呼ぶときは、我々は「しもべ」=主のために働く者とし
ての立場にいる。 だから、1タラントを取り上げられるということは、救いを失うということにな
るかもしれない。 一度、主イエス・キリストを信じたら、何をしても、どんなクリスチャンであって
も決して、救いを失うことはない、などということは、どんなに有名なキリスト教指導者が言おう
とも、聖書の言っていることの方が正しいと受け取らなければ、大変なことになる。 永遠がか
かっているのである。 

「外の暗やみ」は聖書では明らかに、サタンと関係がある。 だから、我々は目を覚ませ!とい
う聖書のことばを真剣に受け止めねばならない。 有名であるとか、才能があるとか、お金持ち
であるとか、いい人であるとか・・・、世が受け入れやすいものに惑わされないようにしなくては
ならない。 そのためにも、主の御霊(みたま)、聖霊の導きに従っていくことが重要である。

★新約聖書 ヨハネによる福音書 17:18
   あなたが(天の父なる神)わたし(イエス・キリスト)を世に遣(つか)わされたように、わたし
   も彼らを世に遣わしました。

★新約聖書 第一コリント人への 2:12
   ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊(みたま)を受けました。そ
   れは、恵みによって神から私たちに賜(たまわ)ったものを、私たちが知るためです。

●主イエス・キリストを信じてクリスチャンになった者は、主からこの地上に遣わされている。 
クリスチャンには帰るべきところがあるのである。 だから、この地上にいる間、クリスチャン
は、与えられているタラントをキリストにあって用いていきたいものである。 決して、タラントを
隠すようなことをして、永遠のいのちを失うことのないように、日々、主に寄りすがっていきたい
ものである。

★新約聖書 マタイによる福音書 25:13
   だから、目をさましていなさい。 あなたがたは、その日、その時を知らないからです。

★新約聖書 ピリピ人への手紙 3:18〜20
   というのは、私はしばしばあなたがたに言ってきたし、今も涙をもって言うのですが、多くの
   人々がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。 彼らの最後は滅びです。彼ら
   の神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のこ
   とだけです。けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い
   主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。