めんどり聖書研究会/めんどり通信

めんどり通信/2005年7月31日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!

★新約聖書 マルコによる福音書 11:17
   そして、彼らに教えて言われた。「『わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。』と
   書いてあるではありませんか。

●旧約聖書の第U歴代誌20章にこのような話しが記述されている。 旧約時代、ユダの王ヨ
パシャテの時、アラムからおびただしい大軍が、ユダに向かって攻めて来ていた。 ヨパシャテ
は恐れて、ただひたすら主に求め、ユダ全国に断食の布告をした。 ユダの人々は集まってき
て、主の助けを求めた。 ユダすべての町々から人々が出てきて、主を求めた。 彼らは、祈り
に祈った。 幼子たち、妻たち、子どもたちも共に祈った。 神からの答えは、「あす、彼らのと
ころに攻め上れ。この戦いは、あなたがたが戦うのではない。神の戦いである。しっかり立って
動かずにいよ。あなたがたと共にいる主の救いを見よ。」ということであった。 彼らは戦いに
出る者も残る者も、祈り続けた。 すると、ユダが物見の塔に上ってその大軍の方を見渡すと、
なんとアラム軍の死体がころがっていたという記述がある。

ここでも、聖書の各箇所で主が言わんとしておられることと同じことを言っている。 祈れ!祈
れ!主に頼れ!頼れ!ということである。 私たちが祈るというとき、自分の力では とうてい
できないという事柄について祈っていることが多いと思う。 人の力でできることについては、
人がそれで満足しているならば、祈ることなどしないであろう。しかし、祈るというとき、神のみ
わざに期待して祈るのである。 それは、人の限界を超えたことを期待して祈るのである。 
ここでもアラム軍は、ユダの国の人々より、軍事力、人数他、何もかも、ユダよりはるかにまさ
り、強かった。 ユダは自分たちの限界を知って、ただひたすら主に求めたのである。 主は、
そのように ご自身に頼って来る者を、必ず助けてくださる。 限界を超えた方が、主イエス・
キリストなのである。 

★新約聖書 マタイによる福音書 26:40,41
   それから、イエスは弟子たちのところに戻って来て、彼らの眠っているのを見つけ、ペテロ
   に言われた。 「あなたがたは、そんなに、一時間でも、わたしといっしょに目をさましてい
   ることができなかったのか。 誘惑に陥(おちい)らないように、目をさまして、祈っていなさ
   い。 心は燃えていても、肉体は弱いのです。」

●聖書は特に、世の終わりの人々にあてて書かれているが、世の終わりの頃になると、眠って
しまう人が多いと思われる。 眠るとは、霊の目が見えなくなって、神が与えてくださっている警
告の事がらによって、偽りを見抜けなくなり、真実を見分けられなくなることである。 我々は見
分けられるかどうかで区分される。 永遠のいのちがかかっているのである。

★新約聖書 マルコによる福音書 11:24
   だからあなたがたに言うのです。 祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさ
   い。 そうすれば、そのとおりになります。

★新約聖書 ヨハネによる福音書 16:24
   あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。 求めなさい。
   そうすれば受けるのです。 それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。

●主に祈るならば、聖霊が働かれる。 祈りがなくては、勝利することができない。 祈りがなく
ては、力を得ることができない。 眠っているから誘惑に入ってしまう。 つまり、罪の中に入っ
てしまうのである。 世の中全体、キリスト教会さえ全体が、その中に入ってしまうゆえに、我々
が真実と偽りを見分けられるということが重要になってくる。 誘惑の時は全世界に来る!!
もうその兆(きざ)しは見えている。 だから我々は祈りによって、主に守っていただかなければ
、誰一人、その誘惑に打ち勝つことはできない。 クリスチャンだからということだけでは、天の
御国へ行けるとは限らないのである。 

我々は、目を覚まして、日々祈り、世の中の様々な出来事から、聖書のどの預言が成就(じょう
じゅ)されていっているのかを、正しく見ていかなければならない。 そうでないと、永遠のいのち
を獲得(かくとく)することはむずかしくなるのである。弟子たちは、主イエスに「祈りを教えてくだ
さい。」と尋ねたとき、主はこう祈りなさいと仰せられた。

★新約聖書 マタイによる福音書 6:9〜13
   だから、こう祈りなさい。 『天にいます私たちの父よ。 
   御名があがめられますように。
   御国が来ますように。
   みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。
   私たちの日ごとの糧(かて)をきょうもお与えください。
   私たちの負いめをお赦しください。
   私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
   私たちを試(こころ)みに会わせないで、悪からお救いください。
   (国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。 アーメン。』

●我々も、目を覚まして、絶えず、主の御心にかなった祈りをしていきたいものである。