めんどり聖書研究会/めんどり通信

めんどり通信/2005年6月12日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!

★新約聖書 ヘブル人への手紙 11:6
   信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。 神に近づく者は、神がおられることと、
   神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。

★旧約聖書 創世記 6:12
   神が地をご覧になると、実に、それは、堕落していた。 すべての肉なるものが、地上でそ
   の道を乱していたからである。

●ノアの洪水の話しは有名である。 科学的、地学的、考古学的にも、ノアの大洪水の証明が
なされ始めた。 最近、衛星写真でノアの箱舟と思われる構造物が写され、地中レーダーに
よって、様々な確認がされているという。(柱、いかり、船首が船尾まで貫通する船の背骨など)
場所もサイズも聖書の記述通りである。 

ノアの時代、地上では人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾い
ていた。 神は、地上に人を造ったことを悔やまれるほど、人は悪くなった。 そして、神は、ご
自身が創造した人を、地の面から消し去ろうとされたが、ノアは神とともに歩んでいたので、
箱舟を造るように命じた。 箱舟を造るのに、約120年ほど かかっているようであるが、ノア
は、絶えざる嘲笑(ちょうしょう)の的となったことであろう。 しかし、彼の信仰は臆すること
なく、神が命じられたことに従っていった。

★新約聖書 ヘブル人への手紙 11:7
   信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかし
   こんで、その家族の救いのために箱舟を造り、その箱舟によって、世の罪を定め、信仰に
   よる義を相続する者となりました。 

●このノアの時は、終末の時の型である。 当時、「道を乱していた」とあるが、このことは、今
の時代にも言えることであろう。 世の中では、不倫やら同性愛やら・・・と、本来、罪悪感を持
つことが当たり前の事がらが、美男美女の俳優を用いたり、おもしろおかしくすることにより、
罪悪感が削除されて、良心がマヒされている人々が多くなっている。 人の良心がマヒされる
ことに、マスコミ、メディア、テレビなども大いに手助けをしている。 

クリスチャンの道も乱されている。 世の事がらが教会の中に入ってきたり、アメリカでは、教会
で音楽があやしくなっているという。 霊が聖霊ではなく、異なる霊(悪霊)と変質してしまい、
教会で悪霊を受けてしまうということも起きている。  ほんの十数年前までは 考えられなか
ったことが、実際となってしまっている。 

終末の日の道の乱れ方は、ノアの時のよう、いや神は、その時よりもっと乱れ方がひどく、
道が曲げられてしまっていると見ておられる。 どうしてそこまで ひどくなるのか。 それは、神
の霊が去っていき、悪霊が思う存分、働くからである。 神の教会が、あまりにも変質が激しく
て、聖霊を追い出してしまうようになってしまう。 それまでは 教会やクリスチャンを守っていて
くれた聖霊が追い出されたなら、悪霊はたやすく、その家(教会)やクリスチャンを占領できるだ
ろう。 クリスチャンは聖霊がおられるから、守っていて下さっているから、弱くても強いのであ
る。 しかし、聖霊が去っていってしまたあとは、悪魔や悪霊は、それこそ赤子の手をひねるくら
い、クリスチャンを占領することは簡単なのである。 マルコ3:27に「確かに、強い人の家(教
会)に押し入って家財を略奪するには、まずその強い人を縛り上げなければなりません。 その
あとでその家を略奪できるのです。」
とある。

★新約聖書 ヘブル人への手紙 11:13
   ・・・・地上では旅人であり、寄留者であることを告白していたのです。

★新約聖書 第一ペテロの手紙 2:11
   愛する人たちよ。 あなたがたにお勧めします。 旅人であり寄留者であるあなたがたは、
   たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい。

●しかし、教会がそのようになっても、終末の日に道をまっすぐにするバプテスマのヨハネの働
きをする人々があらわれると聖書は言っている。 今、主につく人は、箱舟に入りつつある。
神の前に正しく歩むかどうかが、箱舟に入れるかどうかの区分になる。 今は、神の区分が始
まっている時である。 人前では関係ない。 神の前でどうかが重要である!

神は契約の神であられる。 また、主イエスを信じてクリスチャンになった者は実子ではなく、養
子である。 だから、クリスチャンが何でも好きな通りしていても大丈夫などと勘違いしてはいけ
ない。 また、地上生活を、神に背を向けて自分の好き勝手に生きていても、最後に主イエスを
信じれば大丈夫などと勘違いをしてはいけない。 そのときは もう神の区分は終わっているの
である。

我々が神に対して義務を果たすなら、神は約束を守ってくださる。 そして、聖霊の印を押され
る。 聖霊の印が押されている者が 神のさばきから逃れることができるのである。

主の道を整え、曲がった道、乱れた道、教え、方法を捨て去り「まっすぐな道」を選んで生きた
いものである。

★新約聖書 第二テモテへの手紙 4:18
   主は私を、すべての悪のわざから助け出し、天の御国に救い入れてくださいます。 主
   に、御栄えがとこしえにありますように。アーメン