めんどり聖書研究会/めんどり通信

めんどり通信/2005年5月1日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!

★新約聖書 第二テモテ人への手紙 1:9、10
   神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召してくださいましたが、それは私たちの働
   きによるのではなく、ご自身の計画と恵みとによるのです。 この恵みは、キリスト・イエス
   の現われによって明らかにされたのです。 キリストは死を滅ぼし、福音によって、いのち
   と不滅を明らかに示されました。

★新約聖書 ローマ人への手紙 6:16〜18
   あなたがたはこのことを知らないのですか。 あなたがたが自分の身をささげて奴隷として
   服従すれば、その服従する相手の奴隷であって、あるいは罪の奴隷となって死に至り、
   あるいは従順の奴隷となって義に至るのです。 神に感謝すべきことは、あなたがたは、
   もとは罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの規準に心から服従し、罪から解放されて、
   義の奴隷となったのです。

●旧約聖書の出エジプト記21章から24章に、奴隷、殺人者、賠償、・・・について記されてい
る。 旧約のことばは、今の時代の我々に対するたとえとして書かれている。 モーセは今から
3500年くらい前の人であり、十戒を与えられたのはそのときである。 みことばは確かに、神
のことばであるから、変わらない。 しかし、教えや強調点は、変わってくる。 だから、みことば
の解釈を我々は、聖書学者や人に頼るのではなく、いつの時代にも変わらない主に頼って、
聖霊による悟りが必要なのである。 

さて、21章に奴隷に関することが記されているが、ここでも たとえとして我々に語りかけがあ
る。 我々人は、日々の生活の中で、罪に悩まされているということがあるだろう。 アダムとエ
バ以来、確かに人は、罪の下にいる。 しかし、聖書のポイントは、人は罪の奴隷から解放され
ていく、ということである。 自由になるということである。 人は、神に仕えていくとき、罪の奴隷
から解放されていく!神に仕えようと主に頼っていく人は、罪の奴隷から自由になる!  

★新約聖書 ローマ人への手紙 7:14〜20
   私たちは、律法が霊的なものであることを知っています。 しかし、私は罪ある人間であ
   り、売られて罪の下にあるものです。 私には、自分のしていることがわかりません。 
   私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行なっているからで
   す。 私には、自分のしていることがわかりません。 私は自分がしたいと思うことをして
   いるのではなく、自分が憎むことを行なっているからです。・・・・もし私が自分でしたくない
   ことをしているのであれば、それを行なっているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住
   む罪です。

●通常、奴隷はお金で売買される。 我々の罪は、主イエスがお金を払ってくださったから、罪
の奴隷から解放される。 罪の奴隷になっていくと、相手(サタン)の持ち物になり、サタンの行く
ところ(火の池、地獄)に行ってしまう。 もし我々が、罪の奴隷になってしまっているなら、解放
を求め、必死に祈る必要がある。 人の目からは、隠れている事柄であったとしても、神の前で
は何一つ隠されているものはない。 ある意味、悪魔(サタン)も隠されているものを知ってい
る。 悪魔は、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回ってい
る、と聖書に記されている。(第一ペテロ5:8) 

21章に賠償について記されているが、神ご自身がお金(贖金)を用意してくださって払ってくださ
ることを言っている。 我々は、自分の罪を数え出したら数えきれない。 人間、罪を犯さない
日はないかもしれない。 マタイによる福音書によると、我々人は、神に対して兆のつく借金が
あるという。 しかし、キリストが十字架によって、我々の借金を払って下さったのだ。 21章に
「目には目を」「牛には牛で償わなければならない」などとあるが、これは、人は人で償わなけれ
ばならないということである。 だから、キリストは十字架で死ななければならなかったのだ。
キリスト・イエスは、我々の身代わりになって罰を受けてくださったのだ。 

★新約聖書 ヘブル人への手紙 4:13、15,16
   造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であ
   り、さらけ出されています。 私たちはこの神に対して弁明をするのです。
   私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。 罪は犯されません
   でしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。
   ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受
   けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。

●御言葉通り、我々は、日々、絶えず、キリストによって神に近づいてあわれみや恵みや助け
を頂いていきたいものである。 そうして、罪の奴隷ではなく、義の奴隷となって、救われた道
を、永遠の御国に続いている主の定められた道を歩んでいきたいものである。

★新約聖書 ガラテヤ人への手紙 5:1
   キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。 ですから、あなた
   がたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。

★★新約聖書 ヘブル人への手紙 7:24、25
   キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられま
   す。 したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。 
   キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしておられるからです