めんどり聖書研究会/めんどり通信

めんどり通信/2005年3月6日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!

★新約聖書 マタイによる福音書 20;30
   「主よ。私たちを あわれんでください。ダビデの子よ。」

★旧約聖書 アモス書 5;4
   まことに主は、イスラエルの娘に こう仰せられる。「わたしを求めて生きよ。・・・・」

★旧約聖書 イザヤ書 59;1、2
   見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。
   あなたの咎(とが)が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪
   が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。

マタイの20章に、二人の盲人が主によって、目が見えるようになった事が書かれている。 
当時、主イエスは、キリスト(救い主)として公に立たれ、様々な病をすべていやされ、悪霊を追
い出し、人々を解放された。 主イエスのうわさは、人々の間に広まり、あちらこちらから大ぜい
の群衆が押し寄せ、イエスについて行っていた。 その時、道端で、物乞いをしていたであろう
と思われる二人の盲人が、主イエスが通られるというので「主よ。私たちを あわれんでくださ
い。ダビデの子よ。」と叫びたてた。 周りの制止をも振り切り、叫びたてた。 すると、主イエス
は立ち止まり、彼らに「わたしに何をしてほしいのか」と言われた。 「主よ。この目を開けてい
ただきたいのです。」と願いを申し上げると、主は 彼らをかわいそうに思って、彼らの目に触ら
れ、見えるようにしてくださった。 見えるようになった彼らは、主イエスに従って行ったという話
しである。

ここでわかることは、盲人は、自分たちが見えないことが 問題だと認識していたということであ
る。 だから彼らは、主に叫んだ。 周りの人たちに止められても、叫びたてた。 これは祈りに
通じる。 彼らの激しい叫びの声を聞かれた主イエスは、立ち止まられたのである。 <主イエ
スが立ち止まられた>。 このことが大切なことである。 主イエスが立ち止まられると問題は
解決したも同然だ。 主は、我々に聞かれる。 「わたしに何をしてほしいのか。」と。 立ち止ま
られた主イエスに、どうしてほしいのかを具体的に申し上げることも大切である。 我々は、主
イエスが立ち止まられるまで祈り、また、主イエスが立ち止まられる祈りをすることが重要であ
る。

またここで、注目すべきことは、主が立ち止まられた時、彼らを見られて「わたしに何をしてほし
いのか。」と言われたことである。 誰が見ても、明らかに彼らは目が見えるようになりたいだろ
うとわかりそうなものである。 しかし、主は そう尋ねられた。 そして、彼らが、「目が見える
ようになりたいのです。」と言った時、主は初めて彼らの盲目に気づかれたかのように「かわい
そうに」と思われた。 このことは、主が盲目だということで、かわいそうに、とは思われなかっ
たと言える。 盲人であって、その本人が、見えるようになりたいのに見えないという、こういう
人をかわいそうにと思って下さるということである。 盲目であっても、本人が見えるようになり
たいと主に求めるか求めないかは、その人の自由意志である。 主は、我々に問題があるか
ら、かわいそうにではなく、問題があるので解決したい、しかし、自分では解決できない、こうい
う人をかわいそうにと思われるようである。 また、人が求めてくるかどうかで、主の御心は動
かされるのである。 

また、ここでの盲人は、たとえとしても我々に語りかけがある。 見えないということは、実際に
目が見えないということだけではなく、霊的に見えない人ということでもある。 ここで、目を開
けていただいた二人の盲人は、はっきりと見えるようになって、その後、主イエスについて行っ
たと書かれている。 言わんとしていることは、彼らは霊の目が見えるようになって、それから
後の生き方が、神を、主イエスを規準(基準)に生きていった、主イエスに従って生きていった
ということである。

創世記でアブラハムが3人の人(主と2人の御使い)が彼に向かって立っているのを、見るとす
ぐに走り寄っり「ここでお休みください。」と引き止めた。 その3人はアブラハムに「来年の今
頃、サラ(90歳)に男の子が生まれている。」と言い、そのとおりになった。 ロトはふたりの御
使いがソドムに来た時、しきりに「お泊りください。」と勧めて家に引き入れた。 そして、ロトは
御使いからソドムを滅ぼしに来たことを知らされ、ロトと娘たちは、滅びから免れた。 ルカによ
る福音書には、イエスが十字架で死なれて気落ちしてエルサレムからエマオへ向かっていた
二人の弟子に、復活された主イエスが現れて道々、聖書全体の中で主について書いてある事
柄を説き明かされたとが記されている。 二人の弟子には、その方が主だとは気づかなかっ
た。 目的の村に近づくと、主イエスはまだ先へ行かれそうなご様子だったので、彼らが無理に
「一緒にお泊りください。」と言ったので、中に入られた。 その後で、弟子たちは、主イエスとわ
かった。 目が開かれ、主が復活されたとわかった。

ポイントは、主イエスが、立ち止まられるまで祈ることである。 主イエスが、立ち止まられるよう
な祈りをすることである。 主イエスに 具体的に、どうしてほしいかをはっきり言うことである。 
神のみこころに沿った祈りを絶えず、具体的にしていき、神の恵みを頂きたいものである。

★新約聖書 ルカによる福音書 11;9
  わたしは、あなたがたに言います。 求めなさい。 そうすれば与えられます。 捜しなさい。
   そうすれば見つかります。 たたきなさい。 そうすれば開かれます。

★新約聖書 ヤコブの手紙 4;2、3
   あなたがたは、ほしがっても自分のものにならないと、人殺しをするのです。うらやんでも
   手に入れることができないと、争ったり、戦ったりするのです。あなたがたのものにならな
   いのは、あなたがたが願わないからです。願っても受けられないのは、自分の快楽のた
   めに使おうとして、悪い動機で願うからです。