めんどり聖書研究会/めんどり通信

めんどり通信/2005年12月18日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!

★新約聖書 ヤコブの手紙 4:4
   貞操のない人たち。世を愛することは神に敵することであることがわからないのですか。
   世の友となりたいと思ったら、その人は自分を神の敵としているのです。

●神が実際の出来事や動物、植物、食物など様々なものを、たとえとして用いて神がいわん
としておられること、神のみこころを、我々に教えようとしておられるが、神のみこころを真に求
めていく者には、そのことを教えてくださる。 「求めよ。そうすれば与えられる。(マタイ7:7)」
など神は、求めよということを各箇所で勧めておられるが、神が我々に求めてほしいことは、
”キリストを求める”ということではないだろうか。 そして、神のみこころは、キリストご自身を
求めて、我々に生きよ!滅ぶな!救われよ!ということであろう。 

★新約聖書 第一テモテへの手紙  2:4
   神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。

★新約聖書 第二ペテロの手紙 3:9
   主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるので
   はありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅
   びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。

●さて、旧約聖書のレビ記11章から、クリスチャンは交わるべき人、避ける人を読み取ってい
くようにとの命令が書かれていると思われる。 また、交わるべき人のようなクリスチャンにな
り、避ける人のようなクリスチャンになってはいけないということもあわせて語りかけておられ
る。

★旧約聖書 レビ記 11:20,21,23、27
    羽があって群生し四つ足で歩き回るものは、あなたがたには忌むべきものである。
   しかし羽があって群生し四つ足で歩き回るもののうちで、その足のほかにはね足を持ち、
    それで地上を跳びはねるものは、食べてもよい。
    このほかの、羽があって群生し四つ足のあるものはみな、あなたがたには忌むべきもの
    である。
    また、四つ足で歩き回るすべての生き物のうちで、足の裏のふくらみで歩くものはみな、
    あなたがたには、汚れたものである。その死体に触れる者はみな、夕方まで汚れる。

●四つ足で歩き回る生き物について上記のみことばのように書かれている。 四つ足で歩き回
る、足の裏のふくらみで歩き回る、つまり、地(この世)にべったりつく者、世と妥協するクリスチ
ャンのことを書いている。 そういうクリスチャンとは交わってはいけないと警告しているのであ
る。 

しかし、はね足があって、飛んで・・・という人は、必要に応じて、最小限、地につく者であるか
ら、そのようなクリスチャンとなら交わってもよいし、そのようなクリスチャンになれと言っておら
れる。 我々クリスチャンは、この世で生活している。 だから、この世のことに関与しなくては
ならないこともあるし、この世のものを用いなければならないときもある。 神は、そのことを、
よくご存知であるから、その際には・・・せよと、身近なものを用いて、我々に教えて下さってい
るのである。 

★新約聖書  第一コリント人への手紙 5:10、11
   それは、世の中の不品行な者、貪欲な者、略奪する者、偶像を礼拝する者と全然交際し
   ないようにという意味ではありません。もしそうだとしたら、この世界から出て行かなけれ
   ばならないでしょう。
   私が書いたことのほんとうの意味は、もし、兄弟と呼ばれる者で、しかも不品行な者、貪
   欲な者、偶像を礼拝する者、人をそしる者、酒に酔う者、略奪する者がいたなら、そのよう
   な者とはつきあってはいけない、いっしょに食事をしてもいけない、ということです。

●聖書を字句どおり解釈せねばならない、などとキリスト教会の多くの指導者が言っているら
しいが、神が言われることを受け取っていくべきである。 世には、偽預言者が多く出てきてい
る。 外側の地位や名声などに惑わされずに、きちんと、主に日々、神のみこころを求めていく
ならば、神は必ず真理を教えてくださる。 

★新約聖書  第一コリント人への手紙 7:31
   世の富を用いる者は用いすぎないようにしなさい。この世の有様は過ぎ去るからです。

★新約聖書 第一ヨハネの手紙 4:1
   愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのもの
   かどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。

●我々人は弱い者である。 クリスチャンであっても、つい罪を犯してしまう。 しかし、主は
レビ記11:28に「これらの死体を運ぶ者は、その衣服を洗わなければならない。」と書いてい
るように、我々が聖霊のきよい水で洗ってもらうようにと命じておられる。 聖霊によりきよめら
れるのである。 それは、祈るときに聖霊に触れられるからである。 だからこそ、日々絶え
ず、祈って洗っていただいて、きよくしていただきたいものである。 聖霊の導きによって、祈っ
ていきたいものである。

★新約聖書 ローマ人への手紙 12:12
    望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。

★新約聖書 テトスへの手紙  3:5
   神は、私たちが行なった義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊に
    よる、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。