めんどり聖書研究会/めんどり通信

めんどり通信/2005年11月13日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!

★旧約聖書 イザヤ記 13:11
   わたしは、その悪のために世を罰し、その罪のために悪者を罰する。不遜な者の誇りを
   やめさせ、横暴な者の高ぶりを低くする。

★新約聖書 ガラテヤ人への手紙 1:4
   キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身を
   お捨てになりました。私たちの神であり父である方のみこころによったのです。

●創世記34章にこんな話しが記されている。 神の祝福を受け継ぐ者として選ばれたヤコブの
娘が、滞在していた地で、その土地の族長の子にはずかしめを受けた。 彼は、娘ディナを愛
して、自分の父のハモルに嫁にもらってくれるようにと頼んだ。 ヘブライ語からの訳によると、
ディナはシェケムの家で力ずくで監禁されていたようである。 シェケムの父ハモルはヤコブと
話し合おうと出てきたが、ディナの兄弟シメオンとレビが激怒した。 このようなことは、イスラエ
ルの中で許せないことだったからである。 

シメオンとレビは、シェケムとその父ハモルに、町中の男子がみなイスラエルの男子と同じよう
に割礼を受けるなら、私たちの娘をあなたがたに与え、あなたがたの娘をわたしたちがめとり
ましょう、と言った。 それを聞いたシェケムとその父ハモルや町の者たちは、「たったそれだけ
の条件で、彼ら(ヤコブたち)の群れや財産、すべての彼らの家畜も私たちのものになるではな
いか。 さあ、同意しよう。」と割礼を受けた。 しかし、その3日目になって、シメオンとレビは、
その町の男子を皆殺した。 そして、ディナをシェケムの家から連れ出した、という記事である。

シメオンとレビは、誓約を結ばせるという口実で町中の人をだまし討ちにして大量殺戮(さつり
く)したが、この行為は、明らかに間違った行為であり、ヤコブも神も許してはいなかったと思
われる。(創世記49章5~7節) 

ただ、これらのことで主は、教会は世と関係をもってはならない、それはゆるされないことであ
ると教えておられる。 クリスチャンは霊的イスラエルである。そして、人間的には良くないと
思われることであっても、神はそのことによって、世に罰(さばき)を与えられるということを見
ることができる。 シェケムもハモルも町中の男子も、神のさばきにあったと言えよう。

クリスチャンであっても、この世の中に住んでいるので、この世に影響されていく。 この場合、
シェケムやハモルの申し出や行動は、人間的に言えば、良い方法だったかもしれない。 しか
し、神の判断を見ていかねばならない。 何かの出来事があったときにおいても、これから何か
を行なうにおいても、この世的な方法や計画などを入れていくことは、神の御心ではない。

★新約聖書 コロサイ人への手紙 2:11
     キリストにあって、あなたがたは人の手によらない割礼を受けました。肉のからだを脱ぎ
    捨て、キリストの割礼を受けたのです。

★新約聖書 ピリピ人への手紙 3:3
     神の御霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇り、人間的なものを頼みにしない私たち
    のほうこそ、割礼の者なのです。

★新約聖書 ローマ人への手紙 2:29
    かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割
    礼こそ割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです。

●割礼とは、肉を切り取ることであるが、これは、生まれつきのものを切り取る、除くということ
である。 神は、人が割礼を受けることを命じておられるが、今の我々は、、実際の肉を切り落
とすような割礼ではなく、御言葉のとおり、生まれつきのものが取り除かれ、キリストを誇り、キ
リストに頼っていく者こそが割礼を受けた者と言われる。 生まれつきのものに頼って生きるの
は、割礼の受けていないクリスチャンである。 割礼を受けるということは、理解し体験する必
要があるが、主は求める者には体得させてくださる。 

★新約聖書 ガラテヤ人への手紙 5:19~21
    肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、
    偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、
    ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今
    もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続
    することはありません。

●ヤコブたちが住んでいた地は、カナンの地と言って、神が乳と蜜の流れる地であったが、反
面そこに住んでいた住民、カナン人、ペリジ人は、神に忌み嫌われていた。 カナンでは、偶像
に自分の子をささげるような偶像礼拝が行なわれ、性的に汚れており、不倫をしたり、母親と関
係したり、いとこ同士や姉妹同士で、また動物と関係を持っていた。 あまりにも汚れていたの
で、レビ記十八章二十四節から二十五節に、『あなたがたは、これらのどれによっても、身を汚
してはならない。わたしがあなたがたの前から追い出そうとしている国々は、これらのすべての
ことによって汚れており、このように、その地も汚れており、それゆえ、わたしはその地の咎を
罰するので、その地は、住民を吐き出すことになるからである。』
と記されている。 

このカナンは世をあらわしている。 だから、この世的なものを教会の中にクリスチャンの中に
入れてしまうことが問題なのである。 そのような世の中で、クリスチャンは旅人として生きてい
るが、だからこそ、何事も、何物も主の方法でコントロールすべきである。 クリスチャンにとっ
て、イエスこそ、光、啓示の光、基準である。 だからクリスチャンは、何事も、主イエス・キリス
トに聞いていきながら、この世の地を歩んでいきたいものである。 それが、世と分離すること
であり、自分の身を汚れと滅びから守ることとなるのである。 

★新約聖書 第一ペテロの手紙 2:11
   愛する者たちよ。あなたがたにお勧めします。旅人であり寄留者であるあなたがたは、た
    ましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい。