めんどり聖書研究会/めんどり通信

めんどり通信/2005年1月30日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!

★新約聖書 マタイによる福音書 16;2,3
   しかし、イエスは彼らに答えて言われた。「あなたがたは、夕方には、『夕焼けだから晴れ
   る。』と言うし、朝には、『朝焼けでどんよりしているから、きょうは荒れ模様だ。』と言う。
   そんなによく、空模様の見分け方を知っていながら、なぜ時のしるしを見分けることができ
   ないのですか。」

★新約聖書 ローマ人への手紙13:11
   あなたがたは、今がどのような時か知っているのですから、このように行ないなさい。あな
   たがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています。というのは、私たちが信じたころより
   も、今は救いが私たちにもっと近づいているからです。


●聖書から見ると、約6千年前に、神は人祖アダムとエバを造られた。 そして、約2千年前に
イエス・キリストが「世の罪を取り除く神の小羊」として登場された。 ここで進化論信奉者たち
は、異議を申し立てるだろう。 「150億年ほど前にビッグ・バンがあって、宇宙は始まった。
地球は約45億年前に誕生した。 2百数十万年前に、人類の祖先が誕生した。」と。 また、
科学上の学説の上でも、以前は創世記1章の万物創造に関する記述は「非科学的」と言われ
てきた。 

しかし、今では、ずいぶん情勢が変わってきている。 最近の様々な目覚しい研究成果によって、
大幅にぬり替えられている。 たとえば名古屋大学水圏科学研究所の北野康教授(2001年時)
は「(地球、海洋、大気、大陸などの起源に関する研究は)科学的というよりは、むしろロマンチ
ックなムードが強いと、数年前までは、しばしば私どもも仲間は言い合ったものである。しかし
近頃は、むしろ科学的である、と言いたいムードである。」と言っている。

このように地球、海洋、大気、大陸などの起源に関する研究は、しばらく前までは「科学的」
と言うよりは、むしろ空想的なものに近かった。 しかし最近では、かなりしっかりした科学的
根拠を持つようになった。 こうした科学上の発展・変遷とともに、今では、これらの事柄に関
する学説のかなりの部分が、聖書の記述内容を否定する方向よりは、実はそれに近づき、
それを裏づけるような方向に向かっているのである。 

科学は、人間のたゆまない努力によって進歩し、また変わってきた。 また、これからも進歩し、
変遷していくことだろう。 その為、過去においてはその当時の科学が聖書を否定したが、現
在においては科学の成果がかえって聖書を裏づけるかたちになった、という例が数多く見ら
れるようになっているのである。

このように聖書に記されている事柄は、時代とともに科学、物理学、考古学等々が進むにつ
れて、事実であるとの証明がなされてきた。 ゆえに、神ご自身が言われているが、神のこと
ばは、真実であり、実際であり、成就されるべきものなのである。 

★新約聖書 ヨハネの黙示録1:3
   この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを心に留める
   人々は幸いである。 時が近づいているからである。

●神にはご計画がある。 神の中では、今のこの時代は、このままの状態では、永遠には続
かない。アダムから始まって、この終末まで来たが、終末のある「王達の時代」に、この世界に
キリストの再臨があり、天の神は「永遠に立て続ける」国を建て上げると、聖書は語っている。
(ダニエル書2;40〜45) その時が近づいていると聖書は言っているのである。 だから、
今が、どういう時代なのかを知ることを、神は我々に望んでおられる。 神の中では、すべて
成されている。 神は、すべてを支配され、すべてを御存じだからである。

★旧約聖書 伝道者の書3:14
   私は知った。神のなさることはみな永遠に変わらないことを。それに何かをつけ加えること
   も、それから何かを取り去ることもできない。神がこのことをされたのだ。人は神を恐れな
   ければならない。
             
●我々はこの地上で、与えられた人生をどう生きるか、何を主(=規準、基準)にして生きるか
を、神は、我々に問われると同時に命じてもおられる。

★新約聖書 ローマ人への手紙12:2
   この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のこころは何か、すなわち、何
   が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新に
   よって自分を変えなさい。

●「この世と調子を合わせてはいけません」は原語では、この世の移り行くさま、流行、風潮
に加わってはいけない、ということである。 人の心は、思いは、外側のものに影響されやすく、
流されやすいものである。 人の心の規準は、そのときの状態、気分などにより変わりやすい
ものである。 しかし、神は永遠に変わらない。 主イエス・キリストは、永遠に変わらない。(ヘ
ブル13;8)
 今、我々は仕事をするもよし、学校へ行くのもよし、何をするのもよいが、誰のた
めに、何のためにしているのかを、改めて考えてみる時が来たと思われる。 

神のためにすること、神のために生きること、神を規準(基準)にすることが、実は、永遠の備え
となっているのである。  外側はどうであれ、我々の心の規準(基準)を神、主イエス・キリスト
に向けていきたいものである。 そして、神のみこころを行なって、永遠への備えをしていきた
いものである。

★新約聖書 ローマ人への手紙12:3
   ・・・だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおの
   おのに分けて与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考えをしなさい。