めんどり聖書研究会/めんどり通信

めんどり通信・謹賀新年 /2005年1月2日。主が復活された記念すべき
日曜日です! ハレルヤ!明けましておめでとうございます!

★旧約聖書 創世記9:18、19、26
   箱舟から出たノアの子らは、セム、ハム、ヤペテであった。 ハムはカナンの父である。
   この三人はノアの子らで、全地の民は彼らから出て、広がったのである。 
   (ノアが)また言った。 「ほめたたえよ。 セムの神、主を。・・・」

●世界民族は3つに分かれるが、ノアの3人の息子、セム、ハム、ヤペテが、全世界の全ての
民族の基である。 セムは黄色人種の先祖、ハムは黒色人種の先祖、ヤペテは白色人種の
先祖であることは、よく知られていることである。 聖書の記述の中には、かつては神話だと片
付けられていたものも、考古学、物理学、宇宙学、科学等の発達により事実であることが証明
されてきた。 

ノアの箱舟も、考古学者ロン・ワイアット氏によりトルコのアララテ山の山中で発見された構築
物から、地中レーダーによって竜骨(船首から船尾まで貫通する船の背骨)、柱、リベット、碇、
などが確認されている。 場所もサイズも聖書の記述通りである。

かつて主は、「アブラハム、イサク、ヤコブの神」と呼ばれた。 アブラハムもイサクもヤコブも神
と共に「地上の寄留者」として歩んだ者であり、神は、彼らの神と呼ばれることを恥としなかっ
た。 そして神は「セムの神」と呼ばれることを良しとした。 ハム、ヤペテの神とは呼ばれない
のに「セムの神」と呼ばれることを良しとされた。 世界3民族の中で、神は、セムにポイントを
置いておられる。 いわば、アジアの人々にみこころをとめられているのである。 「アブラハム
の神、イサクの神、ヤコブの神」と呼ばれた彼らは、神と共に歩むことにより、多くの奇跡と祝
福と恵みを受けてきた。 「セムの神」と呼ばれるセムも、神と共に歩むなら、祝福、恵み、奇跡
を期待できる。 

4千年前のアブラハムから約2千年前のキリスト誕生まで、神は「セムの神」であることは、誰
の目にも明らかだった。 イスラエル人が主に反抗をしても、神は常に手を差し伸べられた。
その様子が旧約聖書に記されている。 しかし、イエス・キリストがセム、イスラエルの王として
来られたのに、そのセム、イスラエル人は、イエスを十字架につけた。 その時から、神の奇跡
も恵みも栄光も祝福も、セムから離れてしまった。 だから、パウロがアジア(セム族が住む地)
へ行こうとした時、聖霊によって禁じられた。 それでパウロは、西回り(ヨーロッパ方面)へと
進んで行った。
(使徒行伝16;6) 西の国々は、神の言葉を受け入れた。 その為、科学、
文化、芸術、等等、様々な分野が早くから目覚しく発展を遂げることとなった。 まさに神の祝
福、恵みを得たのである。 

研究者によれば、第二次世界大戦前、世界の地域のほんの5%を占めるヨーロッパ白人が、
世界の5分の4の地域を支配するようになったのことである。 いつの間にか、キリスト教は
白人(ヤペテ)のキリスト教となり、白人のイエス・キリスト像が描かれ、多くの日本人もイエス・
キリストは「外国の神様」と思い込んで呼ぶようになってしまった。 

ヨーロッパに伝わったキリスト教は、西の国々が発展する中で、長い歴史の中で、パウロの伝
えた聖書の御言葉、神のみこころから、離れてきてしまった。 特に西洋の果てアメリカでの変
貌ぶりには、すさまじいものがある。 何でもかんでもアメリカと言うことを、いい加減、日本人
は考えを改めなければならない時が、もう来ていることに気づかねばならない。 盲目的にアメ
リカに従っていくなら、アメリカと共に神のさばきに入ることになってしまうのである。 

聖書は、永遠の昔から永遠の未来までの間に起きる事柄を、神の予言として、聖書によって
我々に知らせて下さっている。 そして、その御言葉の真の意味を神から預かった人々が、神
の預言として我々に知らせてくれる。 御言葉の解釈という時、聖書の全ての箇所で、二重の
意味あいがあり、裏の部分に終末に関してのことが記されている。 そして ここに重きが置か
れている。 二重の意味あいの、いわば裏の部分(たとえの部分)を読み取り、理解していくこ
とが、神のご計画(経綸)を知っていくことになり、今後(未来、永遠)の為の備えがわかるとい
うことである。 

確かに、日本は、今、クリスチャン人口は1%にも満たない。 全世界のクリスチャン人口が20
億人というから、信仰の自由が与えられているにも関わらず日本は 何と少ないことか。 しか
し、すべてにおいて神のご計画がある。 神はご自身が語られたことばは、必ず成就される。

★新約聖書 ローマ人への手紙 10:21
   またイスラエルについては、こう言っています。「不従順で反抗する民に対して、わたしは1
   日中、手を差し伸べた。」

★新約聖書 ローマ人への手紙 1:1、5、
  すると、神はご自分の民を退けてしまわれたのですが、絶対にそんなことはありません。・・
  ・・今も、恵みの選びによって残された者がいます。 

●この御ことばは、アジアの中でも、とりわけ東の端の国、日本について語られている。 西側
にまわった福音は、今や(イスラエルから見て)東の方、アジアに来つつある。 中国、韓国で
は、もうすでに神のみわざが始まっている。 一番最後は日本であろう。 しかし、その日本に、
神は重きを、御心を置いているとしたら・・・。 今年は目を覚まして、神の恵みを受け損ねるこ
とのないようにしたいものである。