めんどり通信/2004年9月5日。主が復活された記念すべき日曜日です!ハレルヤ!

★第一テサロニケ4章16節(新約聖書)主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの
響きのうちに、御自身天から下って来られます。 


●モーセが、シナイ山で 神から授かった2枚の あかしの板には、字が 表と裏の両面に書
かれていた。
 (出エジプト記)        そのように、聖書のみことばは、第一義的な意味あいだ
けではなく、第二義的な意味あいのある場合が ほとんどである。 神の御心を知る為には、
裏の第二義的な意味あいを悟っていく必要がある。 また、イエス様は、‘たとえ’をもって多く
語られた。 だから、このたとえが、何をたとえているのか、何を言わんとしているのかを理解
する必要がある。 


マタイによる福音書の21章33〜46節でも主の語られた‘たとえ’が書かれている。 
『ひとりの家の主人が、ぶどう園を造って、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。収穫の
時が近づいたので、主人は、自分の分を受け取ろうとして農夫たちのところへ しもべたちを
遣わした。ところが、農夫たちは、そのしもべたちを殺してしまった。主人は“私の息子なら、
敬ってくれるだろう”と息子を遣わした。しかし農夫たちは、ぶどう園の外に、主人の息子を追
い出し殺してしまった。ぶどう園の主人は、帰ってきたら、その農夫たちをどうするだろうか。』
というたとえである。

この質問を投げかけられた祭司長たちとパリサイ人たちは『その悪党どもを情け容赦なく殺し
て、そのぶどう園を別のちゃんとした農夫たちに貸すにちがいありません。』と答えた。 

この‘たとえ’で、ぶどう=教会のクリスチャン(新約の)・神の民(旧約の)、農夫=教会の働
き人、祭司長=牧師など働き人、パリサイ人=宗教関係者など働き人を表している。 

ここでは、農夫が変質していってしまうことを言っている。 教会の働き人、クリスチャンが変質
するということは、キリスト教会が変質してしまうということである。 しかし、これはキリスト教会
だけではない。 世の中、世界も変質していってしまう。 そして、その変質は、今、キリスト教会
でも世界でも起こっている。 

ローマ・カトリックでは教会もローマ法王も すっかり変質してしまった。 ローマ・カトリックの神
学校では進化論を教えている。 また、マリヤはキリストと共同のあがない主と言い、地獄は、
人の心の中にあるのであって、本当の地獄はないなどと、聖書の神のみことばと正反対のこと
を教えている。 また英国国教会では、主の復活はなかったと言い、プロテスタントでもクリスチ
ャンは大患難にあわず、秘密の携挙があるなどと言ったり。 しかし最近では再臨は悲観的
だと再臨のことを言わなくなってきた教会が多くなった。 また、再臨について奇怪な行動をと
る者があらわれたり、聖書で主が言われている再臨を攪乱(かくらん)させる動きも増えてきた。 

これらは特に欧米での変質が激しい。 日本もそれに続き始めた。 変質はキリスト教会だけ
でなく世界情勢においても激しい。 特にアメリカは、アフガニスタン、イラク…など、悪いとこ
ろは爆弾でやっつけてでも…という理屈で正義面しているが、これは決して神の御心ではな
い。 このアメリカは一応、キリスト教国なのである。 しかし悪魔の手先となって、いや、サタ
ンと一つとなって傲慢の限りを尽くしている。 アメリカの大伝道師と言われたビリーグラハム
の息子も過激なことを言い、戦争を支持している。 

確かに、今の世界情勢とキリスト教会の情勢とは決して無関係ではない。 アメリカは正義、
世界の警察、神の御心などという名目で やりたい放題やっている。 しかし、これは神に敵
対する行動である。 キリスト教の教理のすりかえをもって軍事力を正当化しているアメリカ
は、きっと、たいへんな時が来るであろうと思う。 神は、主は生きておられるのである。 

教会も世界もクリスチャンも変質してしまい、ますます悪くなっていくだろうが、しかし、このマタ
イの御言葉の通り、主人は、もう一度帰って来るのである。 旅に出かけた主人は帰って来る。 

キリストの再臨は、ある人たち(主に従う人たち)にとっては幸いである。 
ある人たち(悪党たち)にとっては災いである。 

なぜキリストは来なければならないか。 それは、どの国にも助けがなく、まわりが全部おかし
くなった時、最後の助けなのである。 
どうも、キリストの再臨を考えなければならない時代に入ったようである。 

幸いな者になりたいものである。