めんとり通信/2004年8月8日 主が復活された記念すべき日です! ハレルヤ!

★新約聖書 マタイによる福音書25章13節
    「だから、目をさましていなさい。 あなたがたは、その日、その時を知らないからです。」


●ここに登場する10人の娘の内、5人は賢く、5人は愚かだった。 愚かな娘達は、ともしびを
持っていたが、油を用意しておかなかった。 賢い娘たちは、自分のともしびと一緒に、ちゃん
と、入れ物に油を入れて持っていた。 花婿が来るのが遅れて、みな、眠り始めた。 ところが
夜中になって、「そら、花婿だ、迎えに出よ。」と叫ぶ声があった。 娘達は、みな起きて自分
のともしびを整えたが、ともしびが消えそうになっていた 愚かな娘達は、油を買いに店へ出
かけた。 しかし、その間に、花婿が来て、用意の出来ていた娘達と婚礼の祝宴に行き、戸が
閉められた。 その後で、愚かな娘達が来たが、もはや、戸は閉められて中に入れなかった。

聖書は、ここでも、主イエスが天の御国について、たとえをもって言われたが、あらゆる個所
で、たとえをもって語られている。 我々は、聖書の御言葉の字句ばかり追うことに気を取ら
れていては、主の言わんとしておられることを、理解できない。 必ず、御言葉の奥に、また、
たとえの中に、主の言わんとされる御心がある。 それを汲み取っていくことが、ここの個所
でも必要である。 

聖書の中で、「女」というとき、教会をたとえて言っている場合が多い。 結婚に関しても
「『それゆえ。人はその父と母を離れ、妻と結ばれ、ふたりは一心同体となる。』この奥義は
偉大です。 私はキリストと教会とをさして言っているのです。」(エペソ5:31,32)

と記されている。 一般的に女性の結婚の問題としては、きちんとした男性と結婚すると
いうことがある。 この きちんとした男性が イエス・キリストである。 5人は婚姻の席に
入れた。 そこに入っていくポイント、花婿を迎え入れられるポイントは、賢い人だというこ
とである。 この賢い人に関しては、イエスは、岩の上に自分の家を建てた人であると
言われた。 『岩の上に家を建てる』とは、みことばを行う人のことである。(マタイ7:24)
御言葉を行うことは、実際、行って、その段階に入る。 実際に行ってはじめてわかって
きたり、見えてきたりするものである。 愚かな人は、みことばを行わない人である。

ここの10人の娘は、クリスチャンである。 クリスチャンであっても区分がある。 
クリスチャンであっても惑わされてしまい、裁きに入ってしまう人もいる。 本来、クリスチャン
は、自分は罪人だと知って(認めて)、自分の罪の身代わりとなって死んで下さったイエス
様の十字架のあがないを信じ、罪を悔い改め、また、3日目に復活されて、今も生きておら
れるイエスを救い主、神と信じて救われた者である。 この時点では、10人の娘とも同じ
である。 10人とも婚姻の席(=天の御国)に入る資格があった。 しかし、婚姻の部屋
に入ったのは 5人だけであった。 戸の中に入ったクリスチャンは賢いのである。
クリスチャンと言えども、油を用意しているか、用意していないかで区分されてしまう。 

主イエスは 夜中に来られる。 夜中とは、真実を照らす光がない、時である。 まさに、
今は そのような時代である。 真実がわからない時代である。 キリスト教会においても
、何が正しいか見えなくなっている。 

今の時代のクリスチャンの問題は、きちんと聖霊を宿し、聖霊に聞き従っているかという
ことである。 人は クリスチャンであるという名目よりも、実際が この戸の中に入れる
かということの方が重要である。 もうしばらくしたら、戸の中に入るか入らないかが
はっきりとわかるであろう。 聖書に記されている御言葉は 着々と成就されているか
らだ。 我々が、聖霊に聞き従うかどうかが重要になる。 また、主イエスを受け入れて
いない者は、早く、婚姻の席(=天の御国)に入る資格を得たいものだ。

★イスラエルの風習と日本の古来の風習シリーズ ・・続き  
【着物のふさ】

 日本:羽織のすそ四隅に、房(ふさ)を付けたりする。鈴を使用して歩く時にチリン・
  チリンと音を鳴らすことがある。
 ユダヤ:チーチーと呼ばれる、肩掛けショールの四隅の房がある。(ヘブル語ではターリー)
【年中行事(月見・仮庵】
 日本:中秋の名月(9月中旬頃の満月)縁側などに、稲やモチを飾り、月見を楽しむ風習
     がある。
  ユダヤ:9月中旬頃の満月から、収穫した穀物を飾り、またそれを象徴した料理を作って食
      べる祭りがある。