めんどり通信/2004年8月29日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!

★新約聖書 マタイによる福音書 24章40節〜42節
   そのとき、畑にふたりいると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。 ふたりの女が臼を
   ひいていると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。 だから、目をさましていなさい。 
   あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。 


●キリスト教をどのように理解するかは、人それぞれの理解の仕方があろう。 しかし、神が
我々に理解させようとしていることと、必ずしも同じではない場合がほとんどである。 神は、
神の御心を、目に見える(読める)聖書という形で与え、知らせて下さったが、その御言葉か
ら、神の御心を理解し、悟ろうとする為には、神の御霊、聖霊の導きが不可欠である。 聖
霊の導きがないと、それは、人の独自の理解、見解となってしまい、その中には命(神の
命)はない。 聖霊に導かれるとき、聖書の御言葉は、その人を生かすのである。 

66卷の聖書は一言で言うなら、キリストに関して記している。 神は、人を御自身のかたちに
創造された。 神は、人を神の栄光の中に包み、地と地のすべての被造物を治めさせた。 
その光景は「非常に良かった」。 神は、人に自由意志を与えられた。

“自由意志”とは、人間への神の賜物である。 しかし、人祖アダムとエバは、その自由意志
を用いて、神のたった一つの戒め「この善悪の知識の木からは取って食べてはならない。
 それを取って食べる時、あなたは必ず死ぬ。」(創世記2:17)
の言葉を守らず、サタン(蛇)
の誘惑の言葉「あなたがたは決して死にません。 あなたがたが、それを食べるその時、あ
なたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知って
いるのです。
 (創世記3:4,5)を自由意志で選択し、受け入れ、善悪の木の実を食べてしま
った。 

そのとき、人の内に罪が入り、人は命の木(永遠の命)から遠ざけられてしまった。 人間は
堕落してしまった。
 「罪から来る報酬は死です」ローマ6:23)とあるように、人は死に行く罪
人(滅びる罪人)となってしまった。 この罪を除く為に、キリストは神に遣わされて、この世に
来られ、十字架上で死んで下さった。 そして3日目によみがえられ、救い主となられ、今も
生きておられる。 


ローマ10:9に「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエ
スを死者の中から よみがえらせて下さったと信じるなら、あなたは救われるからです。」

とある。

真に、この方、主イエスを信じ受け入れた者は、キリストが生きておられること、キリスト、神
の愛と恵みを体験していくであろう。 また、この方イエスは、やがて(もうすぐ)再び、この
地上に来られる。(再臨)     さばきをなさる為と、その時に地上に残っているご自分の
民(真のクリスチャン)を引き上げる(携挙)為である。 しかし、救われた罪人でも、この肉体
には、一人一人、寿命があるので、再臨に間に会わず、この世を去る時が来る場合もある。 

聖書が、死というとき、滅びのニュアンスが強い場合が多いが、クリスチャンにとっては死
ではなく“眠る”である。 また、肉体の死と霊魂の死と2通りある。  黙示録には、第一の
死、第二の死とあり、マタイ10:28には「体を殺しても、魂を殺せない人たちなどを恐れては
なりません。そんなものより、たましいも体も、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れ
なさい。」
とある。

いずれにしても、死後があるということである。 聖書によると永遠は、2通りある。 永遠の
御国(天国)と永遠の火の池(地獄)である。 こればかりは、我々の自由意志で決められる
ものではない。 この地上にある間に、真に主イエスに救われた者であるかどうかによって
決まるのである。 

“真に”という時、クリスチャンにもやはり2通りある。 人から見たクリスチャンと真のクリスチ
ャン(神から見たクリスチャン)である。 私は以前、通っていた教会で、冒頭の御言葉の箇所
「取り去られた人」は、携挙された人と教えられ、長い間、そう思っていた。 

しかし最近、主から教えられわかったことは、これは携挙には関係がなく、今の時代に起こっ
ている霊(悪霊)の大洪水に関することであるということだ。 ノアの洪水の時も、残されたのは、
箱船に入ったノアたちだけであった。 外の人々は皆、洪水で流された。(取り去られた)   

 現在、欧米のキリスト教会では、この(悪)霊の洪水が大洪水となり、世界中に影響を与え
始めている。 この洪水は今後 もっと大きくなるであろう。  聖霊を人々に与えるのでは
なく、悪霊を人々に与えてしまうこの大洪水に流されないようにしなくてはならない。   

キリスト教という名だけ聞いても、安心できなくなってきた。霊を見分けていく必要がある。 
キリスト教会が変質している現在である。 しかし、だからこそ、主の再臨は近づいている。 
そして教会も神の喜ばれるように回復し、神の御言葉はその力を取り戻し、純粋な聖霊の
働きが始まるだろう。 今まで 主を知らなかった人達が、主イエスを受け入れるようになる
時でもある。 主イエスを信じ、キリストの中にしっかりと根付いて、大洪水がきても、流さ
れず残される者にして頂きたいものだ。