めんどり通信/ 2004年 6月6日 日曜日主が復活された記念すべき日曜日です!
今週も皆さん、元気でゴー!

★新約聖書 ヨハネによる福音書 3:16 
    神は、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それ は、御子を信じる
    者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

★旧約聖書 箴言 22:6
    若者をその行く道に ふさわしく教育せよ。年老いても、それから離れな い。 

●「世も末」という言葉があるが、まさに、今が そのような時代かもしれな い。  犯罪の低
年齢化傾向も 著しいものがある。 少年少女の異常性などと よく言われるが、 しかし、ど
うして そのような世になったのか。 誰が そうしたのか。 

聖書は“この世 の 君(王)”は サタン(悪魔)であると言っている。 この悪魔は聖書による
と最終的には 永遠 の火の池(地獄)へと落とされることが決まっている。 このことを悪魔
も知っていて、 一人でも多くの者を道連れにしようと、ほえたける ししのように、食い尽くす
べきものを捜し 求 めながら、歩き回っているという。
(第一ペテロ5:8) 

また、この悪魔は 人の弱みを知っていて、人の心に働きかけをする。 まさか、人は、自分
の内から出てくる思いや考えの中 に、悪魔により そそのかされているものが出てきてい
るなどとは気づきもしない。  しかし、これは事実である。 となると、ある面では、「世も末」
という このような世にしたのは 悪魔の仕業と言うことができるであろう。 

しかし、悪魔のせいだけにはできない。なぜなら、人は、神により自由に選択できる“自由意
志”を与えられているからである。 これには、さすがの悪魔も 直接 触れることはできない
のである。 

人間は『発展』という名目 で、 人の便利さや欲望などを追求してきた結果、科学などは 目
覚しい発達を遂げた。しかし、 それに並進するかのように、いや それ以上に、人の心の荒
廃は進んできてしまった。 結 局、「世も末」と言わなければならない時代は、“人間”がつく
ってきたものであると言えるのではないだろうか。 今は、物も娯楽もあふれている。 携帯、
洋服、漫画、映画、ゲー ム・・・。 様々な面で自由にもなった。 しかし“自由”という言葉も
歯止めが きかなくなった。  アダルトビデオ、インターネット、雑誌、携帯、ありとあらゆると
ころにポルノが氾濫。 そして   若者の道徳感、罪悪感の欠如。 それを真剣に注意するこ
ともできない、やめさせようとしない大人たち。 

その上、神を無視して 現代科学は人間コピーまで造ろうとしている。 かつて様々な発展
に貢献した偉人と言われた人たち(ニュートン、ガリレオ、コペルニ ク スなど等)は、神に出
会った人が多かった。 

しかし 今は 多くの人が 神に背を向け、名目上は どうであれ人の欲望を満たす方向へ
と、ますます突き進んでいる。 そうしていくこと が、 ますます、心の荒廃を生み、昔は宝と
言われた子供達にまで 悪影響を与え、悪魔の思惑通り、 滅び(地獄)へと突き進んでい
ることに、人は いつになったら 気づくのだろうか。  人は、悪魔の働きかけに、いつまで
“同意”するのだろうか。 

悪魔は 人間の中にある罪の性質を利用する。 確かに 悪魔の働きかけから逃れるのは、
至難のわざである。 しかし イエス・ キリストは、その悪魔のわざから我々を、逃れさせて
くださるために、悪魔が利用する我々の罪 を十字架で処分して下さった。 十字架で身代わ
りとなって死んでくださったのである。  

そして、主イエスを信じ、従う者を 地獄へ引き連れていこうとする悪魔の力から守り、
永遠のいのちを与えるために、3日目に よみがえられて今も生きておられる。 この世
の作られた宗教は「お金」や「行い」を要求する。 これが人間の知恵であり、限界があ
るものである。 

しかし 神が要求されるのは、我々がへりくだって、謙遜な心をもって 主イエスを信じ、
求めることだけである。 そして 神から与えられた“自由意志”を正しく行使していきたい
ものである。   そうして せめて我々の身近な者たち、時に子供達に いい影響を与える
者となりたいものだ。