めんどり通信/2004年 5月9日 日曜日  主の復活の記念すべき日曜日です!

★新約聖書 ヨハネによる福音書 6:51
   私(キリスト)は天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパン を 食べるなら、
   永遠に生きます。

●約二千年前、イエスが公にキリスト(救い主)として立たれ、宣教をされた様 子 が、福音
書に書かれている。 イエスは御言葉をもって、悪霊どもを追い出し、病気の人々を みな直
された。 イエスの教えは、律法学者たちのようではなく、権威ある者のようだったの で、
人々は驚いた。 最初、イエスのまわりには、いつも人々であふれていた。病気を直して
も らったり、飢えた時にパンや魚を食べさせてもらったのだ。 イエスは、集まって来る人々
を 深 くあわれまれ、神のみわざを人々の上に行って下さったが、彼らは、この地上で腹を
満たす こ とに目を向けていた。 その度、主は「聞いて悟りなさい。」と仰せられた。

そして「まこと に、まことに、あなたがたに告げます。 人の子の肉を食べ、また、その血
を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。 わたしの肉を食べ、わた
しの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。ヨハネ6:53,54」と仰せられた。

『食べるもの、この地上のものを求める こ とを、第一にするのではなく、まず永遠に目を
向けよ。 その為に、わたし(キリスト)を受け 入 れよ』と主は仰せられたのである。
しかし、その言葉を聞いた群衆や弟子と呼ばれていた多くの 者 たちが、イエスから離れ
去って行き、もはやイエスとともに歩かなかった、と聖書に記さ れ ている。(ヨハネ6:66,67)

イエスのもとに残ったのは、わずかな弟子たちだけであった。今日も 同様である。多くの
人々は、この世、すなわち地上にある事柄だけに心を向け、先のこと (=永遠)を考えようと
しない。 永遠、つまり死後のことなど、無いかのように、皆、この地上 が最初で最後の
生きるところとして、突き進んでいる。ゆえに、無意識に、様々な形で肉の 欲 を満たすこ
とが、心の中心を占めてしまいがちである。 

我々は皆、神のさばきの座に立つよ う になると聖書のあちらこちらに記されている。
人間がどのように思い、どのように考えよ う が、変わらぬことは、神は聖書の御言葉を必
ず、行われるということである。聖書の御言葉 通 りに成るということである。

イエスは約二千年前、私たち罪人を救う為に来て下さった。  そ して、十字架で私たちの
罪の為に死んで下さり、三日目に復活された。その後40日間、弟子 達の間に現れ、大
ぜいの弟子たちが見守る中、天に昇られた。 またイエスは、天に昇られ た ときと同じ
様で、再び来られると言われた。神の御子キリストが、どうして再び来られるのか。

それは、主に頼る者たちにとって最後の助けだからである。 世はますます悪くなり、
政治にも人にも、どの国にも宗教にさえ頼れない時代は、もう始まっているように思える。

キリストの再臨は、ある人たちにとっては幸いとなり、ある人たちにとっては災いとなる。
それは、 永遠の御国に入れるかとうかの決定がくだされるからである。

『すべての者にさばきを行 い、 不敬虔な者たちの、神を恐れずに犯した行為のいっさい
  と、また神を恐れない罪人どもが 主に言い逆らった無礼のいっさいとについて、彼等を罪
  に定めるためである。新約聖書ユ ダ 15節』。


今、主は私たちに語りかけておられる。 惑わされるな! 目をさませ!

第一コリント 8:6に『私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、すべてのものはこ
の神から出てお り、私たちもこの神のために存在しているのです。 また、唯一の主なる
イエス・キリストが おられるだけで、すべてのものはこの主によって存在し、私たちもこの
主によって存在するのです。』
と書かれている。 だから主イエス・キリストを、神として
救い主として信じ、主 の 再臨を待ちたいものだ。