めんどり通信/2004年4月11日 日曜日

★新約聖書 ローマ人への手紙 2:12
    律法なしに罪を犯した(聖書を信じてない)者はすべて、律法なしに滅び、律法の下
    にあって罪を犯した者(クリスチャン)はすべて、律法によってさばかれ ます。

 ★新約聖書 ローマ人への手紙 14:10
     …私たちはみな、神のさばきの座に立つようになるのです。

●二 千年に入る数年前から、世界は暗やみの中へと突入してきたように思われる。 世界は
変質してきた。日本においても近年、ますます世は悪く、暗くなってきたことが現実 味を帯び
てきた。 平和主義だった憲法9条も自衛隊、軍隊というように変質してきて おり、方向が変え
られてきた。 そしてイラクでの日本人拘束事件。政治家もどうも、 方向が変えられてきたよう
である。 『平和』という「的(まと)」からはずれてきて いるように思える。 『的はずれ』。 

実に、聖書に記されている「罪」という語は、原語で『的はずれ』という意味あいがある。
ということは、政治家も世も、ますます罪 から罪へ、罪深かさへと変質してきているのではな
いだろうか。 

これはキリスト教会においても同様である。 キリスト教会も変質してきている。 四福音書
に書かれている イエスの公生涯の3年半は、終末の大患難時代の3年半の予表と思われる。
聖書を読めばわかるが、当時、主イエスが目の前におられても、人々は、主がキリスト(救い
主)と気付かなかった。 人々の見る目の的がはずれてい たのである。 

今日、私たちの罪の為に十字架で死なれ、3日目によみがえられたイエスは、天におられる
が、イエスを救い主として受け入れる者に、助け主として、真理の御霊(聖霊、キリスト)を送
って下さる。 当時、イエスは弟子トマスに言われた。
「あなたの指をここにつけて、わたしの
手を見なさい。 手を伸ばして、わたしのわき に差し入れなさい。 信じない者にならないで、
信じる者になりなさい。」「あなたは わたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸い
です。」と。(ヨハネ 20:27,29)  

また、イエスを信じる者たちに言われた。 「わたしに向かって『主よ、主よ。』と言う者がみな
天の御国にはいるのづはなく、天におられるわたしの父のみこ ころを行う者がはいるので
す。」と。(マタイ7:21)  

人は、信じようが信じまいが、 認めようが認めまいが、そんなことは関係なく、必ず、神のさば
きの前に立つことに なる。 神が言われるのである。 そのときに、神からの合格印を受けた
いものだ。 

だから、今という時が問われるのである。神の前にあなたはどうなのかという“今”である。