めんどり通信/2004年4月1日 木曜日

★新約聖書 マルコによる福音書 8:34〜38
    それから、イエスは群衆を弟子達と一緒に 呼び寄せて、彼等に言われた。「だれでも
    わたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、 そしてわたしに
    ついて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福 音のためにいのち
    を失う者はそれを救うのです。…」

●聖書は明らかに次に来る世に 焦点をあてて語っており、そちらにクリスチャンの歩み、目
標、重要性があることを 強調している。 「わたしと福音のためにいのちを失う者はそれを救
うのです。」は、 『すなわち、(今の世で)命を救おうと思う者は(次の世においては)それを失
う』 というように理解できる。 今の世だけを考えるなら、死なないで生きた方がよいし、 この
世で十字架を負って苦難の道を歩むよりは、気楽に自己実現、人に好かれること をやってい
た方が良い。 36節に「人は、たとい(今の世で)全世界を得ても、(次の 世で)いのちを損じ
たら、何の得がありましょう」とあるが、この箇所で、この世で の成功や富が次の世での永遠
の命と比べるとどれ程の価値があるかを知らなければな らない。 

私たちは、今の成功と次の世における成功とを、はっきり区別、比較してお かなければなら
ない。 もし、これらの二つのうち、どちらかでしか成功できない、報いを得られないとしたの
なら、どちらを優先すべきかをよく考えるべき だ。聖書の他の箇所で、今の世は仮の世であ
り、私たちは この世にあって旅人、寄 留者にすぎないことも語っている。私たちは明らかに、
次の世に焦点をあてるべきで はないだろうか。