めんどり通信/2004年2月21日土曜日

★新約聖書 ヨハネ10 :7〜10
   イエスはまた言われた。「まことに、ま ことに、あなたがたに告げます。わたしは門です。
   だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。また安らか に出入りし、牧草を見つけ
   ます。・・・・わたしが来たのは、羊がいのちを得、それ を豊かに持つためです。

●数年前、テレビで ある若者の普段の生活ぶりや心のうち のことなどを放映していた。
昨今の若者は、いかにして人生を楽に、楽しんで充実さ せようか、ファッションや娯楽や何
やと、その時がよければいい、外見、外面がよけ ればいいということばかりに 気をとられ
ている者が多い。いや、若者だけでなく  熟年も老年の者たちも いつの間にか、古臭い考
えは時代遅れ、嫌われてはならぬと 変に感化を受けて、世の中、常識の基準さえ変わり、
なんだか狂ってきた。残虐な事 件が増えてき て、その事件をとりあげてのワイドショー合戦
で何度も々、テレビか ら流れてくる同じ映像は、人に警告や深刻さを与えるどころか、人が
残虐な場面に慣 れてしまうという悪影響さえ与えてしまっているようにも思える。かつては
通用して いた常識も今では 通用しなくなってきた。

そう思っていた矢先、その放映された若者を見た時、今時の若者のうちにも、明日の日本
を考え、自分の内面を真面目に見つめている者もいるんだ、日本もまだ捨てたもんじゃない
な、と最初は思っ たものだ。 

しかし、見ていくうちに、心が痛くなってきた。若者はクリスチャンであ ったが、満たされない思
いで日々、葛藤しており、バチカンへの巡礼の旅でローマ法皇をひと目見て 心機一転しよう
と考えた。 画面に映し出された若者だけでなく、多 くの巡礼の旅へ出てローマ法皇を拝しよ
うとする者たちの顔々と心の思い(インタビ ュー形式)が映し出された。皆、一様に心が苦しん
でいた。 そして苦しい巡礼の旅の 後、ローマ法皇が信者たちに 高いところから手を振って
いるのを見て、彼らは喜び  ローマ法皇を拝し、「明日からまた がんばれます。」という。 そ
して それぞれ の生活へと帰っていくが、帰国後、数日間はその時の余韻の為 いいが、し
ばらくす ると また もとどおりの葛藤の日々を送っているのである。 彼らは皆クリスチャ ン
である。 しかし 真のクリスチャンではない。 真のクリスチャンであるならば、 日々の生活
に様々な苦しみや問題があったとしても、その中で安らかさがあり、主の 牧草で満たされて
いるからである。 

ここに ローマ・カトリックの罪がある。救いの代わりに 律法と苦しみと重荷を与えている。
(1)人(ローマ法皇や聖人な ど)を、神として拝している。これは神が忌み嫌われる偶像礼
拝である。
(2)聖書 の救いの一番重要原則を変質させている。マリヤを神格化させて キリストと共同の
 「あがない主」としている。
(3)聖書(創造論)と正反対の進化論を受け入れた。 神の言葉を無にしている。
(4)政治に入ってきてい る。(西暦三百年頃から、コンスタンチヌ帝の時から)

本来、キリスト教=キリストであるが、長い歴史の中では、 表だって「キリスト教」と掲げては

掲げてはいるが、人の教えや考えが入ったキリスト教の歴史となってしまっている。 だから
政治にも関与して戦争を起こしているのである。主イエスは決して そのようには言われなか
った。


主は「わたしの国は この世のものではありません。」ヨハネ18:36
「あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着もやりなさい。」マタイ5:40 

真の救いは主イエス・キリストにあり!!