めんどり通信/2004年12月26日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!

★新約聖書 ローマ人への手紙11:25、26
   ・・その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは、異邦人の完成のなる時ま
   でであり、こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。・・・

★新約聖書 ローマ人への手紙11:23、24
   彼らであっても、もし不信仰を続けなければ、つぎ合わされるのです。 神は、彼らを再び
   つぎ合わすことができるのです。 もしあなたが、野生種であるオリーブの木から切り取ら
   れ、もとの性質に反して、栽培されたオリーブの木につながれたのであれば、これらの栽
   培種のものは、もっとたやすく自分の台木につながれるはずです。

●キリスト教は、一般には、カトリックの宣教師フランシスコ・ザビエルが1549年に日本に来て
から、初めて日本に広まったと思われている。 しかし、研究者たちによると、ザビエルが日本
に来るより はるか以前、ザビエルより約千年も前に、多くの景教徒、すなわち ネトリウス派
キリスト教徒たちが、続々日本にやって来ていたという。 証拠となる様々な文献や、遺跡が
中国、韓国、日本などで発見され、多くの研究者たちが、最近本にして紹介している。 もうすぐ
、お正月ということで、お正月に関することを一部、取り上げて、古代イスラエルと神道の比較
をしてみたいと思う。 

▲過越祭(ペサハ)はユダヤ教でいう新年の祭りで、ユダヤの祭日 のうちで最古、かつ最大
のものである。BC1491年 イスラエル人の民族脱出が起源。その日は、日本の年越しと 同
じように、家族で寝ないで夜を明かす。
更に過越祭の日だけは普段と食べるものが違っていて、いつもは ふっくらとしたパンを食べる
のであるが、この日に限って「種なし のパン(マッツォ)」を食べる。この種なしパンは日本で
いう 「餅(モチ)」に当たる。しかも、ユダヤ人は丸く平べったい種なしパンを祭壇の両脇に重ね
て供えるのだが、まさにこれは日本の「鏡もち」以外のなにものでもない。また、過越祭は全部
で7日間 と規定されており、これも日本の正月の期間と全く同じである。

▲旧約聖書;ヘブライ語で新穀で餅をつく五旬節をペンテコステという。出エジプト記34;18
7日間 酵母を入れないパンを食べなさい。 民数記11;8臼で粉をひくか、鉢ですりつぶし
=日本;江戸時代には正月に餅をつくことをペンタラコと言った。

▲旧約聖書;エジプトの国を出た翌年の1月14日の夕暮れ、過越祭を祝った。(民数記9;3)
=日本;昔は正月14日に祝祭があり、15日16日両日を一般の公休とした。

▲日本の神社の前に置いてある狛犬(こまいぬ)は、犬というより もライオンであるが、古代
ソロモン神殿の前にもライオンの像が置 いてあった。ライオンはダビデ王統を担うユダ族のシ
ンボルであった。

▲しめ縄・・旧約聖書;測り縄で巻いて30キュビト(第一列王記7:23)聖い所を外部の世界
から離別(出エジプト記19;12)=日本;しめ縄を神聖な場所や器具、家などに張る習慣が
ある

▲鳥居の由来・・旧約聖書;柱を本堂の前に左右に立てた。(第二歴代史3;17)=日本;神
殿の入口の左右に上部に横木を渡した二基の柱を立てる。

▲神殿の構造・・旧約聖書;聖所、至聖所の位置、木材を重ねた階段、格子窓=日本;拝殿
、奥殿の位置、木材を重ねた階段、格子窓

▲神殿の檜材・・旧約聖書;ソロモンの神殿は檜材、屋根は杉材(第二サムエル記24;81)
=日本;神殿の造営には必ず檜材、屋根は杉材。

▲旧約聖書;どんな偶像も造ってはならない。それらを拝んではならない。(出エジプト20章)
=日本;神道の神は、姿なく、初期には、どんな像を造らず、三種の神器のようなものだけ。

●我々は昔からの行事や宗教儀式、文化など、日本の風俗や習慣の中に育ってきた。 好む
と好まざるとに関わらず、昔からの習わしとして、地域のお寺の檀家に数えられ、同時に神社
の氏子として組み入れられることについて、ほとんど疑問も持たずにすごしてきたというのが多
くの場合ではないだろうか。 

ところが、自分の罪と直面し、その究極の解決をキリストの十字架に見出した者は、キリストに
よって、新たに生きる者となった。 しかし、信教の自由が保障され、都会化が進んで、かつて
の一方的な因習が薄れてきたとは言え、異教的な環境は依然、大きな影響力を持っている。 

こうした状況の中にあって、ただ やみくもに社会生活から浮き上がってしまうことなく、しかも 
しっかりと聖書に根ざした信仰生活を送るためには、ただ一方的に、神を信じたから、あれは
いけない、これもいけないではなく、何故、いけないのか、起源はどうなのか、どういう意味が
あるのか、等等も知っていく必要があると思われる。 

ましてや、今まで聖書とは何の関係もない異邦人と思われていた日本人が、実は、聖書に大
いに関係があり、それどころか、日本人こそ聖書の約束の民、あのユダヤ人、すなわちアブラ
ハム、イサク、そしてダビデ、ソロモンに連なる聖書の中心の民、真のユダヤ人の子孫である
ことが、最近、多くの研究者たちにより判明してきた。 真のユダヤ人がいるので偽ユダヤ人
もいるのであるが、今、中東で“我々は神の選民ユダヤ人”と豪語し、パレスチナ人を追い
出そうと平気で人殺しを繰り返している色の白いユダヤ人たち、彼らは偽ユダヤ人である。 
彼らは、真の神、主イエス・キリストに反逆している。 彼らの行く先は滅びであろう。

しかし、真のユダヤ人なる日本人には、終末に すばらしい約束がある。 

★新約聖書 ローマ人への手紙 11;28,29
   彼らは、福音によれば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びによれば
   、先祖たちのゆえに、愛されている者なのです。 神の賜物と召命とは変わることがありま
   せん。

2005年は、ますます、我々日本人が神の約束に預かるべき民であることを解明され、日本人が
このことを知っていくことを願っている。 我々は唯一の父なる神を拝み、唯一の主なるイエス・キ
リストに仕えていって、神の約束の御国(天国)を獲得したいものである。