めんどり通信/2004年10月24日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!

★旧約聖書 申命記 30:19
  私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。 私は、いのちと死、祝福と
     のろいを、、あなたの前に置く。 あなたは いのちを選びなさい

 
●いのちの木を選ぶか、善悪を知る木を選ぶか!

★旧約聖書 創世記  2:9
   神である主は、その土地から、見るからに好ましく食べるのに良いすべての木を生えさ
       せた。 園の中央には、いのちの木、それから善悪の知識の木とを生えさせた。

★旧約聖書 創世記  16:17
   神である主は、人に命じて仰せられた。 「あなたは、園のどの木からでも思いのまま
       食べてよい。 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。 それを取っ
       て食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」

 アダムとエバは、善悪を知る木を選んだ為に、苦しみを背負い込み、永遠のいのちから
はずれてしまった。 アダムとエバが 善悪の木の実を食べたとき、目は開かれた。 確か
に、識には、そんな面がある。 クリスチャンでも神学から、いろいろな知識に満ちてくると、
不思議なことは、そういう人は、往々にしてクリスチャンの一線を越えてしまう。 主としもべ
(クリスチャン)の関係を越えて、しもべの立場を離れ、いつの間にか、判断者、決定者、
命令者になっていく。 すなわち、「神のようになる。」 つまり、傲慢になるのである。

★新約聖書 第一ペテロ 5:5
   神は高ぶる者に対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。」


●神の国を選ぶか、世を選ぶか!

★新約聖書 マタイによる福音書 13:22
   また、いばらの中にまかれるとは、みことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わし
       とが みことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。

★新約聖書 第一ヨハネ 2:17
   世と世の欲は滅び去ります。 しかし、神のみこころを行なう者は、いつまでもながら
       えます。

★新約聖書 ヤコブの手紙 4:4
   貞操のない人たち。 世を愛することは神に敵することであることがわからないので
       すか。 世の友となりたいと思ったら、その人は自分を神の敵としているのです。

良い実を結ばない者は、火の中に投げ込まれるとある。
(マタイ7:19) つまり、霊の惑わ
 しに入るのである。 その中に入った者は、神の真理を悟ることができず、いのちの道から
はずれてしまう。 恐ろしいことである。 

しかし、今、世界のキリスト教会は、世と手を結ぶ運動が盛んになっている。 段々と それ
が全キリスト教会に強制される日も近づいてくると思われる。 すでに世的になっているカト
リックとプロテスタントは、「教会は一つ」というスローガンで、エキュメニカル運動を推し進め
ている。 欧米の教会は、大半がその中に入っている。 このエキュメニカルという ことばは、
「この世的」「この世についた」という意味があるが、教会が 神に敵対してくる時代になって
しまった。 教会をも 見分けて選ばなければならない時が来たのである。  なぜなら、この
世的になった教会、クリスチャンは、聖書によるならば、必ず、さばきが あるからである。 

教会、クリスチャンがさばかれることについて、多くの教会は、聖書の一部だけを取り出して、
「神は イエスを信じる者を さばかない」「神は祝福を与えてくださる」「クリスチャンはさばか
れない」と聖書に書いているなどと、自分のいいように解釈する。 しかし、聖書は、全体を読
む必要があり、前後関係とかを読み取り、それらを通して、神の言わんとされていることを 汲
み取っていくことができるのである。

第二ペテロ1:30に、聖書の預言はみな人の私的解釈を施してはならないと書いてあるが、
この箇所の原語では「その部分のみから預言を解釈するな。 他の箇所も参照せよ。」という
意味が含まれている。 以前、私は愚かにも、あるみことばの一部だけを取り出して解釈して、
大きな間違いをしたことがあった。 主のあわれみによって、元の軌道に戻して頂いたが、こ
の時に、聖書は全体を読むこと、一語、一部だけをとってはならないことを学んだ。

●キリストの弟子になることを選ぶか、群集になることを選ぶか!

★新約聖書 マルコによる福音書 8:34〜36
   それから、イエスは群集を弟子たちといっしょに呼び寄せて、彼らに言われた。
   「だれでも わたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そして
    わたしについて来なさい。  いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音のた
   めに いのちを失う者は それを救うのです。 人は、たとい全世界を得ても、いのち
       を損じたら、何の得がありましょう。・・・・」


 弟子は、神のみこころ、方法、考え、意志を知ろうと求め、神のみこころを行ない、神からの
祝福、栄光を受ける。 群集は、見えるパンにこだわり、自分の願いだけを求めていき、神の
みこころを求めようとせず、いずれ主から離れていく。 神の祝福を受け損なう。

このように私たちは、二つに一つを選ばなければならない。 神は、いのちを選びなさい、神
の国に入りなさい、キリストの弟子となりなさい、と私たちに語っておられる。 私たちは、い
のちを選び、神の国に入り、キリストの弟子となることを決心して、主にそのことを申し上げ、
祈っていきたいものだ。 そうして、神が用意してくださっている祝福と恵みを存分に受ける
者になりたいものである。