めんどり聖書研究会

 
めんどり通信/2003年11月3日


★新約聖書 テトス3-7 
   それは私たちがキリストの恵みによって義と認められ、永遠の命の望みによって、相続人
   となるためです。


●私たちは、キリストによって神の子とされ、神の「相続人」とされる。 神の永遠の命、天
国、神の祝福、その他すべての神の富を真のキリスト者は相続するだろう。 その中で、最
大の富は、からだが、あがなわれることである。 復活の日、真のクリスチャン(キリスト者)
の体は、永遠の命の体に復活する。 私たちが相続しようとしているものは、大きい。 
とここまでは、一般的にキリスト教会でよく言われていることだ。 

しかし、聖書をよく読むと『私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにして
いるなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。』(ローマ人8
-17新約)
と記されている。 

一般的にも人は、苦労なしに、のほほんと過ごしている者より、様々な試練に会って苦労
した人の方が、「人間ができている」と言われる。 キリスト者もある意味、同様である。 
主イエスに信頼するという一点を揺るがない基盤として、キリストにあって新しく造られた
者と実際が成るように、主の御手の中での苦難はある。 人によって違いは様々あるだろ
う。 ただ一般的に言われる苦難との違いは、頼る者は決して倒れ伏せることがないこと
である。 

また、苦難さえ、その人を練り鍛えるだけでなく、様々な益に変えて下さるのである。 
生きて働いて下さっている神、主イエスがおられるからである。 たとえ、どんな環境、
状況にあって起きる事柄であっても、神の御手の中にあるんだと、主の御心を求めるた
めに主イエスに祈り頼りきれる人こそ
『聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主
です。」ということはできません。』(第一コリント12-3)
の御言葉に該当する者であると
言える。 そしてその者に 最も最上の神の祝福が与えられるのである


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