めんどり聖書研究会

 
めんどり通信/2003年10月21日


★旧約聖書 イザヤ 44:6〜8
    イスラエルの王である主、これをあがなう方、万軍の主はこう仰せられる「わたしは初
    めてあり、わたしは終わりである。わたしのほかに神はない。わたしが永遠の民を起
    こした時から、だれが、わたしのように宣言して、これを告げることができたか。これを
    わたしの前で並べたててみよ。彼らに未来の事、来るべき事を告げさせてみよ。…」


●日本各地や世界各地では、それぞれの地域で、それぞれの人が暮らしている。私たちは、
それら世界の五十億人以上の人々の一人に過ぎない。また、現在生きている人々だけでな
く、過去を考えれば、大勢の人間が生まれては死んでいった。

この世界は、無数の人間のしかばねの上に立っている。

私も、そうした過去に生まれては死んでいった数百億の人間の一人に過ぎない。 私も、
やがては過ぎ去っていく者の一人である。 私達の人生は、全く束の間ではないか。 そん
な私達の人生に、一体どんな価値と意味があるのか。 

神は「永遠の民を起した」と7節にある。 主イエスキリストを信じ受け入れた者は「永遠の
民」の一員である。 私たちは永遠の民の一員として、この時代、またこの地における神の
みわざを担当しているのである。 この地上にあるのは束の間でも、そこでなすべき事柄の
意義は大きい。 神がクリスチャンを用いられるからである。


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