めんどり聖書研究会

 
めんどり通信/2003年10月1日


★旧約聖書 イザヤ57:15
   「『わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住むへりくだ
   った人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。』

●「心砕かれて、へりくだった人」、すなわち謙虚で謙遜な人とは、どういう人だろうか。 

私たちは、「卑下」と「謙遜」とを区別しなければならない。 「卑下」「自己卑下」とは、自

分をだめな人間と思い込み、もはや何もやる気がなく、ダメさ加減を単に皮肉めいて「自

分はつまらない人間です。」と言うだけで、そこには開き直りがあり、救われたいという求

める心がない。 神への信仰も、神への へりくだりもない。 単に開き直って、自分を自

分で卑しみ、さげすんでいるにすぎない。 これに対して、真の謙遜、へり下りは、どんな

に成功をおさめ、どんなに優れたことを成し遂げても、高ぶらず、慢心せず、神の前にひざ

まずいて感謝し、神に栄光を帰す態度ではなかろうか。 その人は「ここまで出来たのは、

すべて神の恵みです。」と言うのである。 また、自分の愚かさに気付かされたとき、失敗

したとき、「自分は愚かな人間です。」と言うだけではなく、そこから救われたいという願い

をもって、「私をあわれんで下さい。」と神に求めることができるのである。 真に謙遜でへり

下った人は、自分の間違いや罪を指摘されたとき、かたくなにならず、すぐにへり下って

神に悔い改めることができる。 本当に謙遜な人は、向上心を失わない。


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