めんどり聖書研究会

 
めんどり通信/2003年8月12日★新約聖書 第一ヨハネ4:18愛には恐れがありません。


★新約聖書 第一ヨハネ4:18
   愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴
   っているからです。 恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。


●私たち人間は多かれ少なかれ、何らかの束縛を受けて生きています。 自分が何に縛
られているかは、どのくらい“そのこと”を考えているかで知ることができる。 仕事にまつわ
ること、お金のこと、人間関係のこと、子供のこと、あるいは自分自身の弱さと格闘している
かもしれない。 束縛の中に深く入り込むと、それがいつの間にか「執着」へと移行していく。
そして、その執着が、最悪の場合には、自分自身のみならず周りをも滅ぼしてしまうことに
なる。 束縛は、まず私たちから自由を奪い去る。 

また、正しい判断力を奪い、真理から私たちを遠ざける。 束縛の根底には恐怖がある。 
恐怖は心を縛る。 そしてその恐怖を土台として物事を判断させようと、悪魔は私たちを惑
わす。 恐れの中から導き出される決断は良い結果をもたらさない。 

例えば、人の目を気にすることに束縛されている時、心のどこかで「人に悪く思われたら
どうしよう」「何か言われないだろうか」などと恐れる思いがある。 それがますます心を縛
り、自由に言動することができなくなり、正しい判断ができず、良い結果をもたらさない。 
恐怖から解放されるには、恐れを締め出す全き愛が必要。 

全き愛とは、例えば、誰かに理不尽なことをされたり、言われたりした時、その人を恐れず、
怒らず、うらまず、むしろ、その人を包み込めるものである。 全き愛はイエスキリストご自
身の中にある。 

イエスご自身を受け入れることが、いのちを得ることである。 この、いのちは朽ちることの
ない、神のいのち(永遠のいのち)です。 イエスご自身には束縛がない。 しかしイエス
様の教えに固執して、肉の努力をしようとする行いには束縛がある。 肉の努力は達成で
きない自分自身に対する怒り、自信喪失、劣等感、他社への批判、自分への憎しみ、
神に反する不信感へとつながっていく。 肉の力で律法(聖書に書かれていること)を守っ
ても、そこには真理がない。

 イエスは「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします」と言われた。
(ヨハネ8;32)
 イエス様は誰も束縛しない。 ただ無限大の愛を注ぎ続けて下さるだけ
である。 イエス様はやさしく言って下さる。「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、
わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」

人には様々な束縛(恐怖)が存在するが、「束縛から抜け出す決意と心の一新」は、
真理なるイエス様を受け入れることから始まる。 私たちは日々、真理を選び取り(イエ
ス様に頼る)、ひとつひとつ解放されよう。 御言葉に根ざして、主に頼るなら、助け主
なる聖霊が、私たちと共にいて、必ず助けてくださる。


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