めんどり聖書研究会

 
めんどり通信/2003年8月1日


★旧約聖書 伝道の書3:11
    神のなさることはすべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与
    えられた。


●最近の人々は、日々の生活に追われ、心の奥の静けさを忘れがちである。娯楽において
でさえ、心を休めるためではなく、結局、人を疲れさせるものになってしまっているようにも思
える。 それも仕方あるまい。 世の中全体が、様々なことに忙しく、何かと騒がしくなってい
るのだから。 現代人の心の中には、永遠を思う余裕はなくなっているのかもしれない。 

数年前、作家?立花隆が、臨死体験の統計をとる為、世界を回った。結果、死後の霊魂の
存続が証明されたと本が出され、NHKでも放映された。しかし、この重要事項は、世の様々
な流行物のようには、日本人の中に広がっていかない。

昔、清水の次郎長は「六(ろく)でなし四五(しご)とも今は飽きはててさきだつさいに逢ふぞ
うれしき」と時世の歌を作った。 彼は、この世にありて、多少の善事をなした報いとして、
死に臨んで、このうるわしき死後の希望を抱くことができたと見える。このように、深い未来
観念を持っていた。

我々現代人も、もうそろそろ目をさまして、今の生き方を顧みて、永遠に目を向ける時がき
たのではないだろうか。主イエスは言われた。「わが国はこの世の国にあらず」。イエスは
御国の王であられる。


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