めんどり聖書研究会

 
めんどり通信/2003年1月14日 火曜日



★新約聖書 第二 コリント人への手紙 8:9
   あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。 すなわち、主は
   富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられた。それはあなたがたが、キリス
   トの貧しさによって富む者となるためです。


●十数年前、この御言葉を読む度に悲しくもないのに涙があふれてきた。 どういうことだろ
うと思いつつ「この御言葉が私の上に成就しますように」と祈ったものだ。 本来この箇所は

『受けるよりは与える方が幸いである(使途20:35)』とともに、財のことを言っていると教えら
れてきたが、事実、わが家においても長年の間に様々なことがあったが、主がこの御言葉
を成就して下さっていると痛感し感謝せずにはおられない。 

だが、この御言葉は、財のことだけではなく、神の性質、恵み、祝福についても言われてい
ると思う。   富んでを高きに、貧しくをへりくだりに直してみると、キリストは神の御姿であら
れる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして仕え
る者の姿をとり、人間と同じようになられた。キリストは人としての性質をもって現れ、自分を
卑しくし死に至るまで実に十字架の死までも従われた。 それゆえ神は、キリストを高く上げ
て、すべての名にまさる名をお与えになった。 

キリストがそこまで、へりくだったのは私たちを救う為だった、と言える。   だから、私たちは、
主の御前で、へりくだって、神の救いを、恵みを、祝福を受け取っていきたいものだ。

『神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる(ヤコブ4:6』。 そして、互いに
人が成長していくために、金銭的な助け合いだけでなく、時には、より重要と思われる精神
的なもの、霊的なものなどを補いあい、助け合って有機的に活発に活動する生きた「キリス
トのからだ」を形成していきたいものだ。 今週もますます、心を主に向けて、主の御前にへ
りくだって過ごしたいものですね。



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