めんどり聖書研究会

 
めんどり通信 23/2002年4月13日 /良き羊飼いに従うことを選ぶ



神は従順によって示される、完全な献身を求めておられます。 それは、あらかじめ定めておら
れる究極の姿へと私たちが成長することを願っておられるからです。 神はわたしたちの良い
羊飼いです。
(詩篇23編)  私たちを愛し慈しんで、世話をしてくださるお方です。 

「知れ。 主こそ神。 主が私たちを造られた。 私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊で
ある。」(詩篇100:3)
 と書かれているとおりです。 

イエスも仰せられました。 
「わたしは良い羊飼いである。 良い羊飼いは羊のためにいのち
を捨てる。」(ヨハネによる福音書10:11)


神は、わたしたちに実り豊かに生きて欲しいと願っておられます。 そして、私たちが感じるより
もずっと深く、私たちの罪によって傷を受けておられるのです。 実際、イエス様はわたしたちと
同様の試練にあわれ、苦しまれました。罪のないお方が、私たちの身代わりとなって、父なる
神から差し出された、罪の盛られた杯を飲まれ、十字架上で、罪そのものとなられた苦しみ
は、私たちには、想像もできないほどのものだったでしょう。

「イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。 汗が血のしたたるように地面に落ちた。」
(ルカ22:44) 
「この大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではなく、罪は犯されなかったが、あらゆる
点において、私たちと同様に試練にあわれたのです。 だから、憐れみを受け、恵みにあず
かって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの御座に近づこうではありません
か。」(ヘブル4:15,16)  

神は人間が危険の中に走り込むのを見て、胸を痛めておられます。 子どもが何度やけどを
しても、懲りずに熱いストーブへ飛びついていくように、愚かなまねをする私たちを救いたいと、
父親のように切望しておられるのです。 私たちは、ただその声に耳を傾け、その言葉に注意
さえ向ければ良いのです。 

ただし、主は、私たちの良い羊飼いですが、私たちが単に、羊飼いの後ろをくっついて流れの
ほとりで、のんびり草を食むためだけに召されているのではありません。 自分自身のあゆみ
に責任を負う必要があります。 そして、どうすれば良い羊でいられるかを学び、主から良い羊
の性質を いただく必要があります。 良い羊は、いつも羊飼いに注意を集中し、彼の言葉に
耳を傾け、離れることなく、せっせと足を運び、そして、羊飼いの意志に従って、自分自身を彼
に捧げることさえ厭いません。 感謝なことに、今や私たちは、一人で足を運ぶのではなく、
キリスト様が共に、歩んでくださいます。 その人の自由意志で、捧げたいと申し上げれば自分
自身を捧げることさえも助けてくださいます。

「・・・父は別の助け主(弁護者)を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださ
る。 この方は真理の霊である。・・・・」(ヨハネ14:16,17) 




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