めんどり聖書研究会

 
めんどり通信 (17)(18)(19)(20)/ 2002年3月27日 義の道を歩む(2)



★旧約聖書 詩篇 139:23,24
   神よ。 私を探り、私の心を知ってください。 私を調べ、私の思い煩いを知ってください。 
   私のうちに傷ついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。 

●キリストが来られる以前の、いわば肉の法則に基づいた律法は、神のことばと命令に従うな
ら祝福を受け、従わないなら罰せられるというものでした。 
(レビ記 26章参照)  
この関係は物理的法則にも当てはまるでしょう。 しかし悲しいことに、私たちは自分の罪を
手放すことができないまま、

なぜ喜びにみたされていないのか、なぜ神の近くで豊かな実を結ぶ人生を送っていると感じら
れないのかと疑問を抱くことがあるかもしれません。 以外と自分の罪を罪として、とらえてい
ない場合もあるでしょう。自分の人生を正すために神の助けと導きが必要です。 すべての行
動に結果が伴います。 すべてのことばが波紋を投げかけ続けます。 語り行うことすべてが、
周りにいる人々に、職場友人たちに影響を及ぼします。私たちが、おこない、語ることばのす
べてが、物事をよくも悪くもし、容易にも困難にもし、愛情に満ちたものにも冷たい隔絶にもす
る、決定要因となるのではないかと思われます。 

「赦し、赦される人生」の究極の目的は、内側から平安と喜びがあふれ、私たちが接するす
べてのことにそれが伝わっていくことです。 私たちが、キリストと一つになっているとき、限り
なく周りに良い影響が与えることができるのです。

「あなたがこの民をエジプトから今に至るまでお赦しくださったように、どうかこの民の咎をあ
なたの大きな恵みによって赦してください。」
(民数記14:19,20)  

これは 日々求めるべき御言葉であり、従うべき御言葉でもあります。 主の答えは私たち
の慰めであり、永遠の赦し、です。 今年は年初めから、罪、悔い改め、赦しについて考えて
みました。 私は、なおなお自分の内面を自分で普段、素通りして気づかない思いさえも主に
点検して頂き、作り変えられたい、きよめられたいと切に願うようになりました。 大きな罪、
咎であろうと、ごく小さな罪、咎であろうとイエス様は、私たちを赦し生かすために十字架にか
けられ復活してくださったのです。 イエス様の十字架がひとりひとりのものとなっていること
を一人一人が日々、体験しますように。




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