めんどり聖書研究会

 
めんどり通信 (13)(14)(15)(16)/ 2002年3月18日 義の道を歩む(1)



★旧約聖書 詩篇 19:12、13
   だれが自分の数々のあやまちを悟ることができるでしょう。 どうか、隠れている私の罪
   をお赦しください。 あなたのしもべを、傲慢の罪から守ってください。 それらが私を支配
   しませんように。そうすれば、私は全き者となり、大きな罪を、免れて、きよくなるでしょう。 

●赦しは罪を取り去りますが、それには悔い改めが伴わなければなりません。 真の悔い改め
は、神の義を自分の生き方に映し出そうと悪戦苦闘していくうちに、もうそれ以上、罪を犯さな
いように私たちを変え、向上させます。 ただ、それが私の経験によると、真の悔い改めは一
度ですまされるわけではないと思われます。 

それは、徐々に、しかし確実に人を変え、向上させます。 人には、様々な性質があり、様々
な面があります。 そのときの罪が、その人のどの性質の部分から出てくるのか、主に従う
者には、主がいろいろの形で、その人にわかるように教えてくださいます。 罪は聖霊によら
なければ、単なる反省の材料程度にしか知ることができません。 罪を、聖霊によって示され
ることにより、神から見られた罪として知ることができます。 罪が示されたとき、神の義と
自我がぶつかって、なかなか、神が示してくださったことを、認めようとしないとき、悪戦苦闘
するのです。

罪を、自分では認めたつもりでも、何十年もその性質で生きてきたものですから、様々な
言い訳や無理からぬ理由が用意され、腹の底から認めることが、なかなか難しいのです。
私たちがギブアップして何の言い訳もせず、全面的に罪を認めたとき、真の悔い改めがで
き、祈り求めることができるでしょう。 そうすると、神は、それ以上その性質(部分)では、
罪を犯さないよう、私たちを変えてくださるのです。 私たちは、それを繰り返しながら、
着実に変えられていきます。 完全に罪を犯さないためには、忍耐強く、主に求めていく
ことが必要ですね。

父であり、創造主である神の「義」は、神のご性質そのものであり、私たちが悔い改め
、神と他者に対して赦しを求めるなら、罪の生活を捨てる努力ができるよう
導いてくださいます。 また、神の義、ご性質を具体的に求めていくなら、キリストの罪に
打ち勝つ力と性質が与えられ、勝利から勝利への生き方ができるのです。 神は私たちを
愛しておられ、もっと親しく交わりたいと強く望んでおられるのです。 

★新約聖書 ヤコブへの手紙 5:11
   ・・主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられる方だということです




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